【宗教リテラシー向上委員会】 「#僧衣だから」こそのインパクト ナセル永野 2019年2月11日

 「#僧衣でできるもん」がSNSを中心に大きな話題になっている。

 きっかけは福井県に住む40代の男性僧侶が僧衣を着て車を運転していたところ、「運転に支障がある」という理由で警察官に交通違反の反則切符を切られたことだった。これを受けて全国の僧侶たちが僧衣姿でジャグリングや縄跳び、バク転をし、機敏な動きができることをアピールする動画を「#僧衣でできるもん」のハッシュタグでSNS上に投稿したのだ。言うまでもなく、ストリートパフォーマーが同じような動画を投稿したところで大きな話題になることはなかっただろう。僧衣を着た僧侶のパフォーマンスだからこそ話題になったのは言うまでもない。

 先日、地元の駅周辺を歩いていると托鉢をしている1人の若い僧侶を目にした。袈裟の種類とお経の種類が不自然であり、何宗の僧侶か理解できなかった私は本人に直接質問してみた。

 「失礼ですが、どこの宗派のお坊さんですか?」「〇〇宗〇〇派です」

 僧侶の答えた宗派では托鉢することはなく、お経も彼が唱えていたものは使用しないはずだ。明らかに不自然だ。私は続けた。

 「〇〇宗〇〇派というと、資格をお持ちの方ですか?」「はい、昨年とったばっかりです」

 私は過去数年間にわたって、その資格の研修講師を務めている。大勢の受講者がいるので正直一人ひとりの顔は覚えていないが、本当に研修を受講しているのであれば私の顔は知っていても不思議ではないはずだ。少なくとも仏教の研修にムスリムの講師が来たというのは、多少なりとも記憶に残ってはいないだろうか。

 「失礼ですが私の授業を受けていました?」「……」

 予想外のことでパニックになったのだろう。彼は慌てて荷物を持って走り去っていった。おそらく偽物の僧侶だったのだろう。何のために僧衣を着て托鉢をしていたのか真意は分からないが、托鉢をしている彼に布施をした人もいたようだった。一般の日本人にとって「僧衣を着ている人=僧侶」であるという図式が無意識のうちに成立しており「疑う」という発想は皆無だったのだろう。

一方、ムスリムの服装はどうだろうか。ムスリムには宗教的な正装はないが、ガラビーヤなど中東の民族衣装が一種のイスラム的服装のアイコンになっている。

 私はガラビーヤを着て街を歩くことはない。周囲からの視線を感じるだけでなく、パトロール中の警官から職務質問を受ける機会も多くなるからだ。日常的にガラビーヤを着て中東出身で髭を蓄えた、いわゆる「ムスリムアイコン」の友人は、「1日に何回も警察に声をかけられた」「朝、声をかけてきた警察に帰る時も声をかけられた」と悩み、今では普通の洋服を着るようになっている。

 私は服装で人を判断することに「差別だ!」「偏見だ!」と声高に抗議する気はない。どんな人間でも見た目の印象から潜在的な差別・偏見を抱いてしまうことは数多くの実験が証明している。最近、この潜在意識を逆手に取った「外見戦略」が注目を集めている。外見は受け手に与える印象を操作できるということだ。同じ人間であっても襟付きジャケットを着ていればビジネスマンっぽく見えるし、チェックのシャツを着て、頭にバンダナを巻けばオタクに見えてしまう。

 仮に僧侶が僧衣を着ていない状態でパフォーマンスをしていたら話題になっただろうか。そう考えると、「服装」のインパクトの大きさが見えてくるのではないだろうか。

ナセル永野(日本人ムスリム)
 なせる・ながの 1984年、千葉県生まれ。大学・大学院とイスラム研究を行い2008年にイスラムへ入信。超宗教コミュニティラジオ「ピカステ」(http://pika.st)、宗教ワークショップグループ「WORKSHOPAID」(https://www.facebook.com/workshopaid)などの活動をとおして積極的に宗教間対話を行っている。

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