【宗教リテラシー向上委員会】 令和時代の宗教 池口龍法 2019年5月11日
お寺ではもっぱら西暦は使わず和暦を用いる。西暦を用いて文書を書くと、先達から批判が来ることさえある。西暦は西洋の暦であり、しかも、イエス・キリスト生誕の年代がベースになった暦だから、お寺にはふさわしくないというのがその根拠である。
ただし、和暦よりもふさわしい暦がある。釈迦の没年から起算する仏暦である。仏教界で発行されるカレンダーなどには、和暦や西暦の横にしばしば仏暦が併記される。ちなみに今年は仏暦2562年である。仏暦を用いると仏法が脈々と受け継がれている趣が出て私は好きだが、残念ながら日本では現実的な暦として通用しない。さらには、近代仏教学による研究では、釈迦の没年を紀元前383年(西暦)とするのが有力であり、そうすると暦が160年ほどもずれてしまう、という問題点もある。
さて、改元である。仏教界でこれをどう祝うか。和暦はあくまで世俗社会の暦であるから、お寺に改元は関係ない。しかし、仏教が伝来して千数百年もの歳月が経つから、お寺文化と皇室文化をいまさら切り離すのも無理である。例えば浄土宗では、大永4(1524)年に後柏原(ごかしわばら)天皇から詔勅をいただいて以来、開祖法然上人の命日法要を特別に「御忌(ぎょき)」と呼び、勅会(ちょくえ)として1週間にわたって執り行ってきた。また、50年に一度の法然の遠忌法要には、大師号が諡(おくりな)されるのが習わしとなっていて、平成23(2011)年の800年大遠忌では「法爾(ほうに)大師」と加諡(かし)された。天皇との関わりを除いた形でも、命日法要も遠忌法要ももちろん勤めることはできるが、儀式の格調がいくぶんか失われてしまうのも否めない。
いっそのこと改元を盛大に祝うのも一計かもしれない。だが、平成天皇の沖縄行幸と皇太子の御成婚式典で沸いた平成5(1993)年には、皇室とゆかりの深い青蓮院や三千院などが過激派によって同時に放火された。これを鑑みて、世間の祝勝ムードに流されるリスクを指摘する声も聞く。また、さらに時代をさかのぼれば、太平洋戦争の時には、仏教界は戦争を賛美するために、教学を歪めさえした。いわゆる戦時教学である。いずれも極端な事例ではあるが、お寺などの宗教組織は、皇室文化はじめ世俗社会の文化と適切な距離感を保ってこそ、本来の面目が保たれるはずである。
令和の時代には、宗教が日本文化の中に埋没するのではなく、凛とした品格を保って「いかに生きるか」を問い続けて存在価値を発揮することを期待する。平成を振り返れば、平成7(1995)年にオウム真理教がサリン事件を起こした。宗教は人を殺めるほどの力を持つものだという恐怖感を与え、人々を正しい生き方に導けなかった伝統教団に強い嫌悪感が向けられた。サリン事件以降の平成の歳月は、この恐怖感や嫌悪感を払しょくすることに苦慮していた。その努力が実を結んだのか、はたまた事件から歳月が経ったからか、ここ10年ほどは、仏像ブーム、朱印ブームなどが起こり、再び仏教に接近しようとする人は増えた。平成26(2014)年からテレビ番組「お坊さんバラエティ ぶっちゃけ寺」が放送され、当初深夜枠だったが、翌年からはゴールデンタイムに昇格したことなども印象的だった。
このような近年の状況は、俗世間の流行の中で宗教が加速度的に消費されている感が否めない。ようやく宗教への抵抗感が薄らいできているいま、宗教者および信者はそこに甘んじるのではなく、覚悟をもって令和の日々を布教に励むべきだろう。
池口龍法(浄土宗龍岸寺住職)
いけぐち・りゅうほう 1980年、兵庫県生まれ。京都大学大学院中退後、知恩院に奉職。2009年に超宗派の若手僧侶を中心に「フリースタイルな僧侶たち」を発足させ代表に就任、フリーマガジンの発行などに取り組む(~15年3月)。著書に『お寺に行こう! 坊主が選んだ「寺」の処方箋』(講談社)/趣味:クラシック音楽