研究者の誠実さを問う 深井智朗氏への「公開質問状」書いた小柳敦史氏インタビュー〝学会・出版社の責任は重大〟 2019年6月11日
深井智朗氏(東洋英和女学院元院長)による著作・論文における捏造問題をめぐり、読売新聞社(山口寿一社長)と中央公論新社(松田陽三社長)は5月17日、「第19回『読売・吉野作造賞』授賞取り消しのお知らせ」と題する告知を両社サイトにそれぞれ掲載した。対象となったのは同氏の著書『プロテスタンティズム』(中公新書)。「授賞取り消し」の理由について両社は、「深井氏には研究者倫理の欠如が認められ、研究姿勢に重大な問題があり、『プロテスタンティズム』もそのような研究姿勢のもとで執筆された著作に含まれると見ざるを得ない」と指摘し、「深井氏から読売新聞社と中央公論新社にはこの件に関して何の申し出もなく、選考過程で深井氏の問題を把握することはできませんでした」としている。
日本基督教学会の学会誌『日本の神学』57号(2018年版)に公開質問状を掲載し、初めて問題を公にした小柳敦史氏(北海学園大学准教授)は、同書もテキストの扱い方に問題があると指摘する。「例えば、(ドイツのプロテスタント神学者)エルンスト・トレルチの引用に問題があるため、『古プロテスタンティズム』と『新プロテスタンティズム』という概念が、トレルチの議論とは異なる意味になってしまっている」
トレルチを中心に近代ドイツのキリスト教思想史を専門とする同氏は、博士課程で学んでいた当初から研究領域の重なる深井氏の著作物を先行研究として参考にしたものの、扱い方は慎重にしなければ、という認識があったという。一連の顛末をどう見ているのか、改めて話を聞いた。
〝学会・出版社の責任は重大〟
信仰の有無問わない「信頼できる研究」
一次資料が読める研究者の間では、深井氏の著作物に不備があること、原文との比較で翻訳に誤りが多いことなどが知られていたものの、書評で何度か指摘される以外は半ば放置されてきた。一方、事情を詳しく知らない読者や編集者が評価し、持ち上げるという二極化が起こっていく。それでもなお学会関係者の多くは、「(世間は)見る目がないだけ」という認識に留まっていた。しかし、今回発覚した「捏造・盗用」は、これまで指摘されたような「注の不備や誤訳」とはレベルが違う。
「公開質問状」について「大先輩に対してよく指摘できた」と称賛する声もあるが、「勇気を振り絞って指摘したという気持ちはまったくない。偉い人だから言いにくいのではなく、むしろ早くから疑念を持っていたのに何もしない間に影響力の大きな立場になってしまったので、早く指摘しなければ、という思いの方が強かった」と小柳氏。「『立派な先生なのに過ちを犯した』という認識は誤りで、以前から問題を指摘され、ずさんな研究をしてきた人物が社会的な評価を得てしまったというのが実態」であり、「そのプロセスを検証できるのはキリスト教メディアではないか」とも指摘する。
学会誌への掲載という形で初めて問題提起する機会を与えられたが、返ってきたのは「暫定的」な回答で、中身にも多くの問題を含んでおり、編集委員が期待した偽りのない誠実な回答とは程遠いものだった。
「今振り返れば、そうした不備のある回答が載せられたことにも問題があったのかもしれない。私の質問や深井氏による回答についても第三者が検証し、学会としての見解が明確にあってもよかったのではないか。そうでなければ、あのような形では質問しにくい」
また、一般メディアによる報道後は実在しない神学者「カール・レーフラー」の方がセンセーショナルで注目を集めたが、研究者にとっては実在する人物に関する論考「エルンスト・トレルチの家計簿」(『図書』岩波書店、2015年8月号掲載)の方が、「より認めがたい重大な不正」だと小柳氏は言う。結果的に、京都大学やドイツの大学が博士号を出した研究者であるとしても、必ずしも信頼できるわけではないことが明らかになった。
東洋英和女学院からもヒアリングを受けたという小柳氏は、公表された調査結果を見る限り、「学院の見識として評価できる」としている。会見の席上では、深井氏の牧師としての資質を問う質問も出された。小柳氏自身は信仰をもたない非キリスト者の立場だが、「研究者の倫理として信仰の有無を問わず、正しい手続きで信頼できる研究をしなければならない。キリスト者であり牧師であれば範を示すべき立場にあると思うが、その責任については信仰を共にする方々から問いかけてもらいたい。私としては、大学の教員は研究者でありながら教育者でもあるので、学生にどのような指導をしてきたのかと憤りを覚える」と語る。
同じ過誤を繰り返さないために、私たちに何が求められているのか。答えは簡単ではない。小柳氏は「学会と出版社の緊密な協力関係が築けていれば、もしかしたら防げたかもしれない」と考える。「専門領域について出版社の編集者がすべて確認するのは難しいと思うが、学会誌に一度でも目を通していれば問題のある著者であることは認識できたのではないか。学会も出版社も改めて責任の重さを自覚し、反省して検証すべき」
深井氏と親交のあった研究者仲間も、「この問題がこのままになるのはよくないと思う。一番の問題は、本人からの弁明がないこと」と指摘する。深井氏は『日本の神学』誌上での回答でも「誤りがあれば訂正し、問いにお答えしなければなりません」と応じながら、すでに学会は(別の理由で)退会。また東洋英和女学院の会見当日に公表されたコメントでも、3月の時点で辞任届・退職届を提出していることを理由に「学院の教育と研究に関するすべての立場から退いておりますので、……何らかの形で私宛にお問い合わせ頂きましても、これ以上お答えできることはございません」と弁明を固辞している。
同じ研究者として、真摯に問いを投げかけた小柳氏の思いは果たして届いているのだろうか。「どれだけ慎重に研究しても間違いはある。しかし、指摘されれば感謝と共に修正する。そうした相互批判を受け入れる姿勢がなければ研究はできない。問題が明らかになった今も深井氏にその姿勢が感じられないのは残念」
本人の口から「真実」が語られる日が来ることを願わずにはいられない。
(「クリスチャンプレス」・本紙共同取材/聞き手・坂本直子、構成・松谷信司)