【宗教リテラシー向上委員会】 この世を照らす街灯のごとく 池口龍法 2019年10月21日
9月10日のことである。今年8月4日にわずか64歳で浄土へと旅立った恩師の葬儀に参列した。戒名を見ると、そこには「街灯」という戒名らしからぬ2字があった。また、粗供養の一つとしていただいたメモ帳には、街灯がデザインとしてあしらわれ、「光のあたらないところに光を」と添えられていた。
恩師とは、東京都町田市の浄土宗勝楽寺住職の茂田真澄さん。若かりし日にタイやカンボジア国境の難民キャンプに行った時、自分の圧倒的な無力さを痛感した。お坊さんなのに、目の前にある苦しみに寄り添うすべを持ち合わせていなかった。とはいえ、自坊を離れて海外での支援活動に従事するのは現実的に限界があり、国際支援を専門とするNGO(非政府組織)ほど行き届いたケアができない。そこで、宗派を超えて志ある僧侶を中心に声をかけ、1993年、NGOを支援するためのNGO「アーユス仏教国際協力ネットワーク(以下アーユス)」を発足させた。
アーユスがスローガンとして掲げてきたのは「世界にお布施」という言葉だ。これは現代では僧侶への御礼という意味に成り下がっている「布施」を、本来の「施し」という理念に基づきグローバルに実践する野心的な提案である。「お坊さんは自分のところでお布施で高級車乗り回しているから嫌われる」「檀家さんからのお布施を生かすためには、苦しんでいる人のために使わなければいけない」などと、豪快に喝破していた姿が懐かしく脳裏をよぎる。
そのような歯に衣着せぬ物言いなども、おそらくお寺関係者からは気に入られなかったのだろう。教団内では茂田さんへの評価は決して高くなかったと思う。とはいえ、茂田さんは周囲の冷ややかな視線など気にすることなく、最期までアーユスの理事長を務めた。檀家さんからのお布施をひたすらNGOの経済基盤構築のために用いると共に、NGOからのフィードバックを有縁の人々と共有して啓蒙活動に励んだ。また、住職としては、「24時間365日、葬儀の連絡も悩み相談も受け付ける」と豪語し、地域の人々や檀家さんの人生に親身になって応じた。社会の隅々まで世の中に光をもたらしていくその生き様から、私は多くを学ばせていただいた。
葬儀には1200人が参列し、早過ぎる死を悼んだ。読経が終わった後で、私はアーユスから支援を受けたNGOの職員らと、食事をしながら語らった。その席で、「NGOには30歳定年説があります」「NGO職員同士で結婚すると男性が退職して一般企業に就職します」と、NGO運営の経済的厳しさを赤裸々に表した言葉を聞いた。困窮している人を差し置いて、職員が先に豊かになれない、という事情もそこにはあるだろう。しかしそれより看過できないのは、お寺へのお布施を除けば相変わらず寄付文化が根付かないこの国では、NGOの健全な運営がそもそも難しいことである。
仏教界においては、社会福祉事業に精を出す人に対して、「僧侶の本分ではない」と批判する人は少なくない。念仏や坐禅などの修行に明け暮れる日常こそ、僧侶にふさわしいと言いたいのだろう。しかしながら、いま書いたような社会構造を考えるなら、町の中に無数にある宗教施設が、ちょうど街灯のごとくに、社会福祉や教育交流の拠点になってこの世界を照らしていくことを、現代は要請している。私はそのことを、茂田さんの葬儀の折のなにげない会話から痛切に知った。本稿がささやかながら茂田さんの生涯に光をあてることになることを願う。
池口龍法(浄土宗龍岸寺住職)
いけぐち・りゅうほう 1980年、兵庫県生まれ。京都大学大学院中退後、知恩院に奉職。2009年に超宗派の若手僧侶を中心に「フリースタイルな僧侶たち」を発足させ代表に就任、フリーマガジンの発行などに取り組む(~15年3月)。著書に『お寺に行こう! 坊主が選んだ「寺」の処方箋』(講談社)/趣味:クラシック音楽