N・T・ライト『驚くべき希望』 邦訳出版記念し訳者交え講演会 2019年10月25日

 福音派を中心に近年注目を浴びながらも評価の分かれる英国聖公会の神学者N・T・ライトによる『驚くべき希望――天国、復活、教会の使命を再考する』(あめんどう)が昨年夏に邦訳出版されたことを記念して、訳者である中村佐知氏の来日に合わせた出版記念講演・座談会が10月18日、お茶の水クリスチャンセンター(東京都千代田区)で行われた。

 同書は、旧約のイスラエルのストーリからキリストの復活の出来事を見直し、「天国行きから地獄行き」がキリスト教のすべてではなく、全世界、全宇宙の救済と再創造という神の目的こそが重要な中心的枠組みであり、「救われている」ことの意義は、大きな神の目的の中で、正義や美、伝道において不可欠な役割を担うことにある、と呼びかける1冊。

 「私の信仰の脱構築と再構築、そして驚くべき希望」と題する講演で中村氏は、移住先のアメリカで携挙を扱った小説『レフトビハインド』がブームになった90年代、「キリスト者は地獄の裁きを免れ、天国で永遠に過ごす」という自身の天国理解に疑問を持つようになっていたころ、本書に出会い、福音の理解が広がったと述懐。また、本書を翻訳中、自身の娘を看取った経験についても振り返り、神義論において問われる「苦しみ」の意味について、ライトが「キリストにとって苦しみは必要不可欠だった」と語っていたことから、キリスト者にとっても苦しみは不可欠なものであり、苦しみを通してイエス様と一つとされていくという慰めを得たと述べた。

 国内で長年「N・T・ライト読書会」を主宰している小嶋崇氏(日本聖泉基督教会連合巣鴨聖泉キリスト教会牧師)はローマ書12章2節から、「キリスト者がこの世に生きるために、マインド(思考)を新たにし、用いていくことが必要」とし、異教の世界である「この世」を客観的、批判的に思考すること、キリスト教の文化圏の外にある世の良い働きについても建設的に評価、思考し協働していくこと、その両面への「マインド」を適用する必要性を語った。

 ライトのもとで博士号を取得した山口希生氏(日本同盟基督教団中野教会伝道師)は、「『驚くべき希望』とあるが、ライトが言うのは個々のクリスチャンにとっての希望とは、どこか違う世界に行くのではなく、体を持ってもう一度帰って再び生きる」ことであると説明。第一コリント15章13節から、「死んだ体の復活を否定するなら、福音を否定することになると」述べた。

 さらに、神の目的をパウロがどう理解しているのかという問いに対して、ローマ書8章から「私たちを別の世界に連れていくことではなく、私たちが生きているこの世界を死の支配から贖うこと、その目的の中で個人の救いも考えなくてはならない。最後に滅ぼされるのは死。死の克服が聖書の一貫したテーマであり、復活がその先駆けである」と応じた。

 復活の身体についても、第一コリント15章にある「血肉の体」(新改訳)と「霊の体」を挙げ、「ここで対比されているのは、フィジカルなもの(肉)とスピリチュアルなもの(霊)ではなく、原文ではプシュケー(ソウル)とプニューマ(スピリット)。復活の体はスピリット(神の霊)によって動かされる、よりダイナミックに神様の霊が与えられた体である」と言及。復活の身体にも連続性があるとし、「この身体で成したこと、身につけたことは復活の身体に影響する。私たちの人生は次の体にも重要性を持っている」と締めくくった。

 あめんどう代表の小渕春夫氏は、「仏教の影響か、『この世』と聞くと『あの世』とつい結びつけて読んできたが、時間の経緯の中でやがて来る世として読むと、聖書の読み方はかなり変わってくるのではないか」とコメントした。

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