【宗教リテラシー向上委員会】 菜食という選択 山森みか 2019年11月21日

 最近の報道によると、イスラエルはベジタリアンやヴィーガンの人の割合がたいへん多く、人口比では世界第2位らしい。確かに私の周りでも肉を食べない人が増えているし、うちの近所にある日本人経営の豆腐専門ヴィーガンレストランは大盛況。ヴィーガニズムは絶対菜食主義とも呼ばれ、肉だけではなく乳製品や玉子も食べないし、生活の中から革などの動物性製品をなるべく避ける生き方である。

 私自身は日本の小学校の給食で育っているから何でも食べるし、また地域ごとにそれぞれの食文化があるのだから、ふだん自分が食べつけないものを食べている人々がいてもその文化は極力尊重すべきだと思っている。また生活のあらゆる局面を規定するユダヤ教の諸規則を超えるところからキリスト教が始まっているわけで、この地において何でも食べるというのはある種、自分の宗教的立場の宣言でもある。実際イスラエルにおいて豚肉を扱っているのは、ユダヤ人でもイスラム教徒でもなく、キリスト教徒の店であり、そのような店はしばしば宗教的に過激な人々の攻撃を受けている。

 旧約聖書の創世記を見ると、エデンの園においてアダムとエバは善悪の知識の木以外の園の木から自由に食物を得ていた。つまり彼らは菜食であった。一方でレビ記には、食べてよいものと食べてはいけないものが規定されている。とりわけ問題なのが動物性たんぱく質の取り扱いで、食べてもよい/食べてはいけない動物や鳥、昆虫、水棲生物、血を食べることや、肉と乳を混ぜることの禁忌等が記されている。要するにエデンの園のように菜食を貫くかぎり、食物規定や火の取り扱いの規定にさほど頭を悩ませることはないのであった。

 興味深いことに、かつてはユダヤ教の規定から自由であることを示すため、世俗派のユダヤ人はあえて豚肉やエビのような禁忌とされる食物を食べる傾向にあった。それが世俗派リベラルの抱く自由の象徴だったのである。今でももちろんそういう人たちはいるのだが、どちらかといえば世俗派リベラルの最先端の人々が、動物虐待や地球温暖化に反対し、その結果として菜食やヴィーガンに傾いていっているように見える。

 その背景にはもちろん動物性たんぱく質に頼らなくても栄養失調にならず、足りない栄養素はサプリメントで補えるという現代社会の豊かさがある。そして時に過激なヴィーガンの人たちは肉屋などを攻撃したりする。そのような行動は、豚肉を扱う店を攻撃する宗教的に過激な人々の行為を想起させ、思想的に過激な態度に共通の何かを浮かび上がらせる。そして今では肉を食べることを公に表明することは、ある種の政治的宣言にさえなりつつある。

 ともあれ現実に菜食の人が増えているわけで、プラクティカルな解決として、大勢の人が集まるイベントではあまり肉が供されなくなってきた。例えば私が勤める学科の教員が集まる研修会のランチでは、メインディッシュはサーモンかベジタリアン用の野菜の詰め物の2択。付け合わせは米や野菜なので問題なし。肉が出ないので、乳製品がほしい人は食後のコーヒーに好きなだけミルクを入れればよく、ユダヤ教の規定もクリアできる。

 かつてユダヤ人とキリスト教徒が食卓を共にできないのは、ユダヤ教の食物規定が原因のことが多かった。今ではひょっとしたら菜食のみのテーブルが、誰もが食を共にできる現実的解決策の一つなのかもしれない。それはそれで、一抹のさびしさがあるのだけれど。

山森みか(テルアビブ大学東アジア学科講師)
 やまもり・みか 大阪府生まれ。国際基督教大学大学院比較文化研究科博士後期課程修了。博士(学術)。1995年より現職。著書に『「乳と蜜の流れる地」から――非日常の国イスラエルの日常生活』など。昨今のイスラエル社会の急速な変化に驚く日々。

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