「ドルト信条」400周年記念 予定論の根幹に「根源的な慰め」 改革派・牧田氏とイムマヌエル・藤本氏が〝対話〟 2019年12月25日
1610年、アルミニウス主義者らによって表明された「アルミニウス五条項」に対し、予定論など改革・長老派教会の主要な教理を鮮明にした信条として知られる「ドルトレヒト信仰規準(ドルト信条)」。その成立から今年で400年を迎えることを記念した集会「福音の慰めを考える」が11月29日、お茶の水クリスチャンセンター(OCC、東京都千代田区)で開かれた(OCC宣教部、お茶の水神学研究会主催)。
1618年から19年にかけてオランダ(ネーデルランド)の都市ドルトレヒトで開かれた「ドルトレヒト全国総会議」で成立した同信条は、五つの主要な教理(無条件的選び=予定論、限定的贖罪、全的堕落、不可抗的恩恵、聖徒の堅忍)によって成り、それぞれの頭文字をとって「TULIP」と呼ばれ、カルヴィニズムの五箇条としても知られている。
集会の前半は、元神戸改革派神学校校長の牧田吉和氏(日本キリスト改革派教会宿毛教会牧師)が「敬虔な魂のために――ドルトレヒト信仰規準の『予定論』の心」と題して講演。牧田氏は、同信条はハイデルベルグやベルギー信条よりも影が薄く、予定論が含まれているため、一般的には冷酷な教えとして理解されやすいが、「〝敬虔な魂の慰めのために〟という言葉が信条自体に出てくるように、根源的な慰めを与えることが信条の根幹にある」とし、信条作成にあたっての基本方針として「教会形成に益すること、平明に表現されること」が定められたことからも、牧会的配慮に満ちた文書になっていると指摘した。
特に、同信条を扱う際に議論の的となる予定論について「神が信仰を予知して選ばれたという『予知論』ではない」と前置きした上で、「キリストの死は救いの可能性ではなく現実性であり、強調されているのは堕落した存在である私が信じたのは、神の決定的な選びがあるから」と強調。また「限定的贖罪」という考えも、救いの確かさに関わる事柄、贖罪の効力の絶対的保障であり、ルターをはじめとする宗教改革者たちも全的堕落と恩恵による救いを説いたことから、「予定論は宗教改革の共有財産である」とも語った。
伝道との関係性については、「予定論は伝道者にその土地の人々の救い確信、幻を見させ、伝道的な意欲をもたらす。神がお導きになる時、人は自然に救われるという考えは、伝道への勇気を与えてくれる」と言及した。
後半は、ウェスレーの研究者としても知られる藤本満氏(イムマヌエル綜合伝道団高津教会牧師)と牧田氏による公開シンポジウム「ドルトレヒト信仰規準から400年後における神学的対話」が行われた。
「アルミニウスとウェスレー――救済論的系譜」と題して講演した藤本氏は、ウェスレーが神の摂理を神の主権ではなく、神の愛と結びつけており、人間の主体性を排除しない予定論を持っていたと紹介。ウェスレーの予定論は滅びの道を曖昧にしないという点で、神の定めは「二重」になっており、定められたのは、信仰と不信仰、従順と不従順とそれに基づく二つの結果。その神の憐れみを受け入れるか拒絶するかは、私たちの「協調性」にかかっており、救いの働きは、人の応答を待っているという。アルミニウスもウェスレーも、人が霊的なことに目覚めるためにも、先行する神の恵みの働きかけは不可欠としたが、カルヴァン派との論争が激化するにつれ、「恵みによって自由にされた意志」が単なる「自由意志」へ変化したと語った。
また、過激な論争が両者の距離を広げるという弊害についても触れ、カルヴァンの後継者であるテオドール・ド・ベーズが予定論の強化、硬化への舵を切った背景として、ジュネーブに予定論を切り崩そうとする反対論があったという渡辺信夫氏(神学者、日本キリスト教会牧師)の分析を紹介。
牧田氏は、両者に共通の基盤として「主権的でありつつ、人間存在の働きと相互関係を維持する、つまり絶対性と相対性が共に成立する聖霊論に対話の方向性を見出すことができるのでは」と問いかけた。また、ウェスレー主義の聖化論は個人的なものではなく社会的な広がりを持っていることから、「神の像の回復や、世界の聖化をというものを考えるならば、社会的な働きを含めたみ国のための働きは、改革派と大いに共同できる部分があるのではないか」と語った。