【宗教リテラシー向上委員会】 この国の「キリスト教」のかたち 波勢邦生 2020年1月21日
報道・出版まわりの友人らと丸太町通りで飲んでいたら「ケアとしての歴史修正主義」という語が出て、笑ってしまった。極端な歴史観を社会福祉として採用する、という話だ。また、ある司祭と年始あいさつついでに珈琲を一杯ともにした。曰く、毎週BBCには全世界から集めた過去の「今週のニュース」を放送するコーナーがある。そこに欧州における「歴史」意識を感じた、という話。紀元節も近いので「歴史」について考えている。
言うまでもなく、歴史には両義性がある。究極的に、事実は解釈を要請する。しかし、記録として「第二次世界大戦」と呼ばれた出来事は否定しようがない。事実と解釈には区別がある。
一方で解釈し難い、アンビバレントな出来事も多い。たとえば、忘れ去られた日本人キリスト者に、西澤正夫(元・大尉)と芝野忠雄(元・軍曹)がいる。西澤は、第二次大戦下で横浜俘虜収容所の所長を務め、芝野は、直江津俘虜収容所で勤務した。昭和23年/1948年にBC級戦犯を収容した巣鴨プリズンで、西澤と芝野含む18~57歳の27名に絞首刑・銃殺刑が執行された。西澤は近江八幡のクリスチャンホームに生まれ、死刑の向こうまでキリスト教徒だった。その西澤の同牢者となった芝野は、西澤の歌う讃美歌に心ひかれクリスチャンとなった。芝野は「キリスト教ではもの足りない」と言って「秋晴の空より清き心もて我は一人我が道を行く」という辞世の句を残している。
「仏間では、仏壇の扉を閉めたまま、その前にキリストの十字架を立て、左右2本のローソクに火をつけて待った……彼らは十字架の前で、しずかに神に祈り、讃美歌第490番、第412番、第411番を合唱した。あとで、ウォルシュ少佐は英語で神に祈り、『君が代』のあと西澤君と芝野君は交代に音頭をとって『神の国日本萬歳』と『祖国萬歳』をそれぞれ三唱した。ブドー酒を飲み、チョコレートをかじり、別れの水を飲みかわして、しっかり握手した。『先生ありがとう』……讃美歌を歌いながら、小雨のふる中を、中庭の刑場へと進んでいった」
ここで「先生」と呼ばれた人、花山信勝(1898~1995年)は、西澤と芝野に「キリスト教関係の書物を差し入れて、その信仰を深められるように努めた」。のちに東大名誉教授となる仏教学者、浄土真宗の僧侶である。A級戦犯・東條英機らへの教誨師を務めた。
手元にある花山信勝『平和の発見 巣鴨の生と死の記録』の奥付を確認してみると、昭和24年2月15日に発行されている。
七十余年後の昨年6月、在日外国人のカトリック信者数が日本人信者の数を上回ったという。ベトナム/フィリピン/ブラジルからの労働者の流入が原因だ。結果、キリスト教の人口比が約1.5%を占めた。長らく「宣教師の墓場」といわれた「日本のキリスト教」は、江戸の開教以来、意外なかたちで、再びキリスト教人口「1%の壁」を突破した。現在、新宿あたりの成人の半数は外国人だという。彼らの過半数がキリスト教徒とムスリムなのだろう。賀川豊彦ならば、この報せを聞いて喜ぶ気がする。内村鑑三、植村正久、海老名弾正ならばどうか。
時代ごと、波のように押し寄せる「黒船」によってしか、ぼくらは変われないのか。否、そもそも変わる必要があったのか。外圧に流され、内革で潰れてしまうこの国で、太平洋弧の島嶼域を耕し仕えるために「宗教」は何ができるのか。この国の「キリスト教」のかたち、そのあり得た、可能な行先を探している。
波勢邦生(「キリスト新聞」関西分室研究員)
はせ・くにお 1979年、岡山県生まれ。京都大学大学院文学研究科 キリスト教学専修在籍。研究テーマ「賀川豊彦の終末論」。趣味:ネ ット、宗教観察、読書。