【夕暮れに、なお光あり】 蓄音機と歌謡曲 小島誠志 2020年2月21日

 父が、戦後まもなく田舎の駅前に粗末な家を建て飲み屋を始めました。私が小学1年生の時でした。飲み屋ですから夜が賑やかです。男の大声、女性の甲高い声が入り乱れます。その間をぬって絶えず聞こえてくるのは蓄音機からの歌謡曲です。小学生にはその内容は分かりませんが、情緒が体に染み込んできます。レコードはあまり多くは売り出されてはいませんでしたが、戦前の歌謡曲が盛んに流されていました。「赤城の子守唄」「影を慕いて」「湖畔の宿」「蘇州夜曲」ほか多数。戦後のものとしては「リンゴの唄」「啼くな小鳩よ」「星の流れに」などなど。

 この後には美空ひばりだの、ずっと遅れて三橋美智也だの春日八郎だのと続いていくのです。

 昼間いっぱい遊んで疲れて、夜布団に入るころ、眠りかけている頭にその種の音楽(?)が侵入してくるのです。先に「体に染み込」むと書きましたが、まさにそれが実感です。覚えたくて覚えたのではありません。否応なしに覚えさせられたのです。その癖は長じても直りませんでした。どこからか歌謡曲が聞こえてくると耳が引っ張られるのです。

 神学校に入ってからのことです。寮の風呂で「泣くなよしよし ねんねしな……」と口ずさんでいました。近くにいた尊敬する先輩が近づいてきて「君はそういう歌好きかい」と尋ねてきました。はっとしました。この歌を歌った歌手とその先輩の姓が同じだったからです。そう言えば体つきもスラッとしていて背が高いではないか。甥……? 緊張してそのことを尋ねる勇気はありませんでした。

 なんと無駄なものをいっぱい自分の中に溜め込んできてしまったのだろう、とずっと悔いてきました。その無駄が無駄ではなくなる日が来ようとは!

 70代後半になって、キリスト教主義の病院にボランティアとして行くようになりました。病院の4階にホスピス病棟があり、妻が毎週木曜日、ケーキなどを作って参加しているのに付いて行き、私は入院している方々の好きそうな曲をハーモニカで演奏します。できるだけリクエストに応えるようにしています。いずれにしても古い歌謡曲が好まれます。自分の体に混沌と渦巻いていたメロディーがあふれ出てきます。

 人生に無駄はない、そう思っています。昔の讃美歌にもこんな一節がありましたっけ。「水の上(え)に落ちて ながれしたねも いずこのきしにか 生いたつものを」(讃美歌54年版536番)

 おじま・せいし 1940年、京都生まれ。58年、日本基督教団須崎教会で受洗。東京神学大学大学院卒業。高松教会、一宮教会を経て81年から松山番町教会牧師。96年から2002年まで、日本基督教団総会議長を3期6年務める。総会議長として「伝道の使命に全力を尽くす」「青年伝道に力を尽くす」などの伝道議決をした。議長引退後は、仲間と共に「日本伝道会」を立ち上げて伝道に取り組む。現在、愛媛県の日本基督教団久万教会牧師。著書に『わかりやすい教理』『牧師室の窓から』『祈りの小径』『55歳からのキリスト教入門』(日本キリスト教団出版局)、『夜明けの光』(新教出版社)、『夜も昼のように』『わたしを求めて生きよ』『朝の道しるべ』『虹の約束』(教文館)など多数。

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