【夕暮れに、なお光あり】 ハトになってでも 川又志朗 2020年4月1日
1960年に東京神学大学で6年間の課程を修了し、母教会の横浜明星教会の牧師となり、早56年。80歳のイースター礼拝の日に引退をした。2男2女の4人の子どもと共に家族で教会に奉仕した年月は長く、牧師館を去る日には感傷的な気分を味わったものだ。今でも日曜日は、近くの母教会の礼拝に出席しているが、今でも教会の玄関から入ることが新鮮な気持ちである。天気の良い日の午後は予定がなければ、歩いてすぐそばの公園に出かける。歩き疲れてベンチに腰を降ろして休んでいると、無数のハトが行き交っている。
ところで読者の中に、ハトを食べたことがある人はいるだろうか。太平洋戦争中の昭和19年の冬のこと。無国籍ドイツ人と呼ばれたユダヤ人の1人を牧師であった父は牧師館の2階の部屋に引き取っていたことがある。彼は雨戸をしまう戸袋の中に住み着いたハトを捕まえて食べようと必死にがんばっていたそうで、事情を察してハトよりは鶏の方が食べやすいと養鶏所を営んでいた教会員さんが譲ってくださった。戦時中は、空腹で賛美歌を4番まで歌えないような時もあったが、この方のような教会と牧師を本当に理解してくださった信徒によって私たちは支えられたのだ。私自身、この方に背中を押されて献身の道を選んだ。神学校の入学試験に合格したと電話で報告したら、すぐにモーニング姿でお祝いに教会に駆けつけてくださったことを覚えている。
さて、ハトの姿を公園で眺めていると、映画『日の名残り』(1993年)のラストシーンをよく思い出す。第二次世界大戦後の英国、邸の主を失い、落ちぶれていく1人の執事を描いた作品だ。世界を動かすような会合を行っていた邸での仕事に誇りを持っていたが、時代と共に、だんだんと認められなくなった寂しさや、過去の罪の呵責に苦しむ、考えさせられる映画だ。
このラストに原作のカズオ・イシグロの小説にはないシーンがある。古い邸を買い取った新しい主と主人公がピンポンをしていると、ストンと暖炉の方から音がする。見るとハトが一羽、煙突から迷い込んだようだ。2人はゲームを止めて窓からからハトを放し、見上げて送り出す。夕暮れの空を飛んでいくハトの視点で邸の全体が映し出され、映画は終わるのだが、あの原作にはないハトは何の表象なのか。私は、今は亡き前の主の魂が尋ねてきたのではなのではないかと思っている。
私は、生まれてこの方、教会で生き、礼拝に育てられ、礼拝で慰められ励まされ、生かされてきた。もし今後、体が動かなくなったら、礼拝にだけはハトにでも代わりに出てもらいたいとすら思っている。まだ体が動く今、教会を支え、礼拝を支えるのは私たちの大事な役目の一つだといつも思っている。
「私から学んだこと、受けたこと、聞いたこと、見たことを実行しなさい。そうすれば、平和の神があなたがたと共におられます」(フィリピ4:9)
かわまた・しろう 1936年横浜生まれ。東京神学大学、東京大学文学部卒業。24歳から80歳まで横浜明星教会を牧会し引退。牧会の傍ら、東京大学文学部で宗教学を研究。共著として『宗教学辞典』(東京大学出版会)ほか。