【夕暮れに、なお光あり】 キリストは来る! 訪ねて来る! 川又志朗 2020年4月21日
1944年7月から敗戦の年の10月末まで、戦火を逃れて、富士山の麓に近い神奈川県足柄上部の山北町の学童集団疎開に60名で参加した。御殿場線沿線のみかん山に囲まれた街だった。しかし雲の上にはアメリカのB29が飛んでおり、富士山の上で編隊を修正しては東京に向かっていた。「この戦争には勝てっこない」、子どもながらそう思ったものだ。
さて、私たちの宿舎は、建て替えたばかりの禅宗のお寺だった。朝と夕に本堂で勤行があり、そこで初めて仏教というものに触れた。和尚さんは美声の持ち主で読経が美しかったことを覚えている。また、食事と洗濯は檀家さんが通いで世話をしてくれた。洗濯せっけんが不足していたころで、楽しかった思い出に、質の悪いせっけんの匂いが染み付いている。
私たちにはウサギを飼う役目が与えられていた。兵隊さんの防寒具の材料にするためのウサギの飼育だった(そのころすでに戦場は南方の島々に移っていた)。山から草を取ってきてウサギに与えるのだが、このウサギたちがよく脱走するのだ。鉄材がないので竹と木々で小屋の修理を繰り返すが、ウサギはかじることに熱心で、すぐに隙間を作っては山に逃げ出すのだ。一度逃げ出したらもう捕まえることができない。一方で、一緒に疎開した上級生の中には、お寺から脱走する勇者もいたものだ。もっとも、こちらは鉄道に乗るところで失敗して連れ戻されるのだが。
映画『大脱走』のように、このウサギたちも脱走の作戦を練っていたのだろうか。こんな思い出があるものだから、教会に熱心に出席していた求道者が急に来なくなったり、手紙を出しても返事がない人がいた時、牧会手帳にメモを書き、暗号のしるしに「ウサギ」と書いていたものだ。
さて、疎開中の秋のある日。牧師であった父と高田彰牧師が御殿場の陸軍病院の慰問の帰り道に、私たちのお寺に寄ってくれた。なんとそこで、トルストイの民話「くつやのマルチン」の人形劇を本堂で上演してくれたのだ。100ワットの灯火管制の光で照らされた劇は感動的だった。「キリストは来る! 訪ねて来る!」このメッセージが胸に響いたものだ。
マルチンのように老いの日々を過ごす中で、愛する者に先立たれ、孤独を感じている方、何とも言えない寂しく悲しい気持ちでいっぱいの方もおられるかもしれない。しかし、残念ながら老いの日々からはウサギのように逃げ出すことが許されない。けれどもそんなマルチンのもとにキリストは、疲れきった老人、貧しい親子、盗みをした少年として訪ねてくださった。そう、逃げ出すことが許されない老いの日々にこそ、そこにキリストは姿を変えて来てくださるのではないだろうか。あなたの役目はまだあると。
キリストは、老いの日々を生きるあなたのすぐそばに来ておられるかもしれない。「キリストは来る! 訪ねて来る!」。私たちは訪ねてくださるキリストをどのようにお迎えできるだろうか。
「気落ちしている者を励ましなさい。弱い者を助けなさい。すべての人に対して寛大でありなさい」(Ⅰテサロニケ5:14)
かわまた・しろう 1936年横浜生まれ。東京神学大学、東京大学文学部卒業。24歳から80歳まで日本基督教団横浜明星教会を牧会し引退。牧会の傍ら、東京大学文学部で宗教学を研究。共著として『宗教学辞典』(東京大学出版会)ほか。