【宗教リテラシー向上委員会】 宗教法は優越するのか 山森みか 2020年5月11日
全世界が新型コロナウイルスの影響下にあるわけだが、私が住むイスラエルは日本に先駆けて3月半ばから厳しい外出禁止が告知され、そのピークは4月7日夕方から15日までの過越祭であった。
ユダヤ教は、安息日の労働禁止の故にシナゴーグは徒歩で行ける距離でなければならないことからもわかるように、地域共同体に密着した宗教である。またユダヤ教の儀式は宗教的成人男子(13歳以上)10名の参加をもって成立するので、必然的に人が集まることが求められる。その結果、政府から集会禁止令が出てからも、あるいは情報伝達がうまくいかなかったため、あるいは確信犯的に、集団でのトーラー学習や祈祷、集会を続けた超正統派の居住地区があった。彼らの居住区は子だくさんで人口密度も高く、イスラエル全体の感染者の3分の1弱が超正統派居住区から出るという事態になった。
3月末からは警察が超正統派の居住区を重点的に巡回し、開いているシナゴーグは閉鎖、生活必需品以外を売る店には罰金を科した。それでも集会を続ける人々がいて、さらには超正統派政党のリッツマン保健相が夫妻で感染発覚、しかも彼らが所属するシナゴーグが政府決定に違反して集会を続けていたことが報道され、ユダヤ教世俗派の怒りは頂点に達した。なぜ自分たち世俗派が、経済的打撃に耐えながらビジネスを止めて家にいるのに、彼らは自分たちの宗教法を優先させ集会を続けているのか。税金もほぼ払わない彼らの生活を支えているのは、自分たち世俗派ではないか。もともと超正統派は宗教的共同体を至上とするため、イスラエル国家の存在そのものに否定的で、兵役義務も免除されている(この件は係争中)。その一方で政権では長年キャスティングボードを握り、自分たちに有利なように政策に影響も与えているのである。
ここに至って、一目で分かるユダヤ教超正統派の服装をしている人は、世俗派からの忌避の対象になった。つい先日まではアジア人的外見が忌避の対象だったのだが、今度は超正統派が危険視されるようになったのだ。折しも過越し前で、過越しのための食物規定の認定をラビが回って与えるべき時期であった。そしてアジア人に対する忌避には反発していた私自身も、超正統派の人を見ると避けたいと思うようになってしまった。
結局政府は、軍と警察を送っていくつかのユダヤ教超正統派居住区を閉鎖、家庭内隔離が困難な感染者を別の施設に移すことにした。また主席ラビも、今年の過越しは同居核家族のみで祝うこと、遠隔地に住む人たちとはオンラインで過越しの食卓を囲むように、という告知を出した。世俗派居住地区も完全に外出禁止となったため、今年は前代未聞の過越の夜となった。そして実際過越しが終わった後、感染指数は改善に向かい、イスラエルは今出口戦略を模索している。
宗教的情熱は、時にはその善意とは裏腹に暴走し、人間の生を脅かす。宗教法の遵守のために感染を拡大させ他者の生を侵害してはならない。だがその一方で、科学的根拠に基づく世俗法の施策に限界があるのも確かである。世俗法の暴走に対する歯止めとなるのが宗教的な何かということもあり得る。例えばイスラエルの病院では、死にゆく感染者には敢えて面会禁止を解き、医療従事者の厳格な管理のもと少数の家族を病室に入れて最後の別れやカディシュの祈祷を許可する動きがある。この感染症蔓延という事態の中で、宗教法も世俗法も、厳格な運用と、厳格さをある程度緩和してでも守るべき何かの間で揺れている。
「ファラオもやり過ごした、これもやり過ごそう」「ペサハは自宅で同居家族のみ」と呼び掛ける保健省広報の動画。
山森みか(テルアビブ大学東アジア学科講師)
やまもり・みか 大阪府生まれ。国際基督教大学大学院比較文化研究科博士後期課程修了。博士(学術)。著書に『「乳と蜜の流れる地」から――非日常の国イスラエルの日常生活』など。授業がオンラインに切り替わり、画面に流れる学生からのコメント読み取り能力向上が課題。