【夕暮れに、なお光あり】 シミもしわも、人生だ! 上林順一郎 2020年5月21日

 「うっとうしい梅雨が明けて間もない頃、真夜中の烈しい風の音に目を覚ましてトイレに行った。手を洗いながら、フット目の前の鏡を見上げてギョッとした。(なぁに? これ……)落ちくぼんだ眼に白い髪を振り乱した老女の、なんとも哀れな顔。(これが、私?)思わず顔をそむけてしまった」

 女優・沢村貞子の『老いの楽しみ』(岩波書店)の一節ですが、老いの哀しみが生々しく伝わってきます。

 老醜という言葉があります。辞書には「歳をとって顔や心が汚くなった状態」とありました。歳をとるとシミやしわが増えるのは仕方ありませんが、「心が汚くなる」とあったのには驚きました。

 古代の中国では死ぬ時の年齢によって呼び方が違っていたそうです。女性の場合、60歳以上の死は〝魅〟と呼びます。魅力の魅ではなく、魑魅魍魎の魅です。70歳以上は〝妖〟、80歳以上になると〝怪〟です。妖怪とはひどいですね。一方、男性の場合、70歳以上の死は〝福〟、80歳以上が〝寿〟、100歳を超えると〝大慶〟です(『妖のある話』陳舜臣)。女性に対する差別が表れているのは明らかですが、女性の方が長寿だったことへの羨みもあったのでしょう。

 パウロは「教会はキリストの体である」と言います。しかし「染みやしわやそのたぐいのものは何一つない、聖なる、傷のない、栄光に輝く教会」(エフェソの信徒への手紙5:27)と、書きます。「体」は老いていきます。キリストの体である教会というならシミやしわなどが生じるのは自然だと、私は思うのですが……。

 「妻の顔にはいくつかのしわがあります。眉の上にある小さなしわは、彼女が機知に富んだ質問をする時にできるものですし、中央にある垂直のは、彼女が真剣に考えるときにできるしわです。また水平のしわのうちの大きな方は、私が病気をして私たち二人が将来を心配していた時にできた苦悩の表れなのです」

 スイスの有名なカウンセラーであったボヴェーが年上の妻の寝顔を見ながら書いたものだと言われています。この文章には「愛すべきしわ」という題が付けられていますが、シミやしわは愛する人の人生そのものなのです。

 教会に元気で明るく、世話好きな高齢のご婦人がいました。祈祷会に欠かさず出席し、いつも牧師と家族のために祈ってくださる方でした。その祈りに支えられて牧師を続けることができたと思っています。多くの人々に愛されて90歳間近で天に召されましたが、教会でのニックネームは「大福」でした。色が白くて、ふっくらとして、温かくて……。

 100歳の男性の死が大慶なら、女性の場合は「大福」がふさわしい! 「その方、シミやしわは?」「忘れました!」

 かんばやし・じゅんいちろう 1940年、大阪生まれ。同志社大学神学部卒業。日本基督教団早稲田教会、浪花教会、吾妻教会、松山教会、江古田教会の牧師を歴任。著書に『なろうとして、なれない時』(現代社会思想社)、『引き算で生きてみませんか』(YMCA出版)、『人生いつも迷い道』(コイノニア社)、『なみだ流したその後で』(キリスト新聞社)、共著に『心に残るE話』(日本キリスト教団出版局)、『教会では聞けない「21世紀」信仰問答』(キリスト新聞社)など。

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