〝教会はなぜ存在するか〟 「逃亡犯条例」改正反対運動と「福音宣言」の背景 香港紙「時代論壇」インタビューより 2020年8月25日
「香港2020福音宣言」の起草者として名を連ねていた王少勇氏(元基督教会活石堂牧師)と楊建強氏(元カンバーランド長老教会香港中会牧師)が、それぞれ教会の職を辞し、8月上旬に香港を離れた。両氏は6月末、香港のキリスト教メディア「時代論壇」のインタビューに答えて、「逃亡犯条例」改正反対運動から香港牧師ネットワーク結成に至るまでの経緯を語り、「香港2020福音宣言」の啓蒙活動に意気込みを見せていた。以下は、「時代論壇」2020年7月3日に掲載された記事を、文意を変えずに対話形式に編集・翻訳したものである。(報告=松谷曄介・金城学院大学宗教主事、日本基督教団筑紫教会牧師)
「逃亡犯条例」改正反対運動から香港牧師ネットワーク結成まで
2019年5月、30人の牧師たちが署名付き声明で、「逃亡犯条例」改正(以下、「条例」改正)の撤回を政府に求め、「真理を守り、虚偽を拒絶する」ことを主張した。その後、複数の署名者で「香港キリスト教牧師署名準備委員会」を結成し、祈祷運動を展開し、祈りによって香港を見守ってきた。社会情勢が緊迫していた時期、彼らはデモ隊と警察の衝突を回避するため最前線に赴き、衝突現場で「Sing Hallelujah to the Lord」の歌声と祈りを絶やさず、香港人に道徳的・霊的な支援を提供してきた。一連の運動に参与してきた2人の代表的な牧師、楊建強氏(カンバーランド長老教会香港中会牧師=当時)と王少勇氏(基督教会活石堂牧師=当時)は、準備委員会結成から「香港牧師ネットワーク」結成に至るまでの1年間におよぶ経緯を顧み、教会が全体主義的政権下にあっても、「神の国」の価値観を持ち続け、真理を語り続けると語った。
霊的運動の次元から見た「条例」改正反対運動
楊建強 「条例」改正に対する教会内の反応を振り返ってみると、まず昨年5月初めに3千人を越す信徒や牧師たちが署名付き声明を発表し、「条例」改正に対する憂慮を表明した。昨年5月末までには、香港社会の各界が相次いで「条例」改正反対の署名付き声明を発表するようになったが、我々2人を含む30人の牧師たちも短時間の内に署名付き声明を発表し、この出来事に対する牧師としての考えを表明しようと考えた。従来、牧師たちが政治的出来事に対して態度表明をすることは比較的少なかったにもかかわらず、800人以上の牧師・神学教師が署名に加わったのは、香港の教会史上、初めてのことだった。この声明において、我々の立場をより明確に示し、「条例」改正を撤回するよう香港政府に改めて要求した。その際、特に「偽りを捨て、それぞれ隣人に対して真実を語りなさい」(エフェソの信徒への手紙4:25)という聖書の言葉を引用し、「虚偽を拒絶する」ことを強調した。
2019年6月、当初の30人から多少の入れ替わりはあったが、有志の牧師たちは、署名付き声明の発表後も引き続き状況の変化に対応していくことを願い、「香港キリスト教牧師署名準備委員会」(以下、準備委員会)の名義で諸活動を準備計画した。我々は、署名付き声明を発表した際に掲げた「虚偽を拒絶する」という考えを継承し、6月9日のデモ行進の前に「真理を守り、虚偽を拒絶する」を主題とする祈祷会を開催した。また同日夜には、香港政府本部庁舎の外で「捕らわれる恐れからの自由、香港の平安を求める」を主題とする祈祷会の開催を計画したが、予定していた祈祷会の場所に多くのデモ参加者が集合することを想定していなかったため、準備委員会は祈祷会開催の数時間前、タマル公園〔香港政府本部庁舎の北側にある公園〕の芝生に場所を移した。その頃は状況が目まぐるしく変化しており、多くのことは必ずしも周到に準備できるとは限らず、準備委員会の全員で検討することもできず、「皆が信頼し、支持してくれさえすれば、とにかく実行しよう」という方針を取らざるを得なかった。
王少勇 牧師たちの中から、我々は霊的な運動という次元から政治的事柄を注視する必要があり、聖書に記されている「神の国」の価値観によって現在の公的な政策を評価すべきだ、と指摘する声があった。そこで準備委員会は、「キリスト者の最大公約数は祈りである」ということに思い至り、祈りによってすべてを始めることを決定した。
6月9日に100万人の大規模な抗議デモがあったにもかかわらず、政府は予定通り6月12日に「条例」改正の第二読会を開催することを宣言し、社会が再び緊張したため、準備委員会は急遽、「72時間祈祷運動」の開催を呼びかけた。各方面に電話で連絡をとり、関係する奉仕者の手配をした後、準備委員会はすぐさま3日間連続の祈祷会を実行に移し、しかも1時間毎にフェイスブックに祈祷文を掲載した。我々はこうした一連の経緯の中に、神の導きがあること、また神ご自身が参与してくださっているのを垣間見ることができた。
雨傘運動(2014年)で「Sing Hallelujah」を歌った際に指摘されたこと
楊建強 2019年6月11日夜の祈祷会で、通常は散会の詩として歌われる「Sing Hallelujah to the Lord」〔日本語訳は、日本バプテスト連盟『新生讃美歌』35番に「主を賛美しよう」〕が9時間も連続で歌われ続け、その後、この歌は「条例」改正反対運動初期のテーマソングとなった。準備委員会はこのような出来事にまで発展するとは予想しておらず、事前にそのことを計画していたわけでもなかった。これらはすべて神の御業だったとしか思えない。その時、祈祷会の現場では、キリスト教信者ではない多くの人たちまでもがこの歌を歌っていた。その後、さまざまな抗議デモの場面で、牧師が何かをするというよりも、青年たちが自発的にこの歌を歌うようになった。
王少勇 実は、5年前(2014年)の雨傘運動の際、残念に思った出来事があった。当時、私は他の40人ほどの牧師たちとデモ隊と警察の間の緩衝役になろうとし、同じように「Sing Hallelujah to the Lord」を歌っていた。ところが、2小節目まで歌ったところで、デモ隊の中から「お前ら牧師たちが何の歌を歌ってやがるんだ。讃美歌を歌うなら教会に帰って歌えよ!」と汚い罵りの言葉が飛んできた。このように、従来、非信者やネチズンは、キリスト者は世離れしていると嘲笑い、信者を「イエス野郎」と蔑称していた。
ところが、それから数年が経ち、「条例」改正反対運動の中で、「Sing Hallelujah to the Lord」というたった一つの歌が、状況を大きく変えるようになった。この讃美歌がいったいどのような力を発揮し、何をもたらしたのか、それは説明しようのない不思議な出来事だった。
キリスト教信者であるか非信者であるかを問わず、皆が共に「Sing Hallelujah to the Lord」を歌うまでになった背景として、セントラル占拠運動〔2013~14年にかけて計画・推進された、民主的な政治体制改革を香港政府・北京中央政府に対して求める運動。改革案が受け入れられない場合には、香港の中心的金融街であるセントラル(中環)を占拠することを予告していた〕の三勇士、戴耀廷教授、朱耀明牧師、陳健民教授たちによる「道備え」が一定程度あったと言える。彼らの裁判法廷での最終陳述、特に朱耀明牧師の「鐘を鳴らす者の言」〔原文と英訳のリンク〕にはキリスト教的化的価値観が含意されていた。香港の多くの知識人、また意識の高い人は、戴教授や朱牧師たちを背後から支えているのはキリスト教信仰であり、その信仰のゆえに彼らが犠牲を払うことを厭わない、ということを理解するようになった。果たしてこうした姿を「浮世離れしている」、「イエス野郎」など批判できるだろうか、と多くの人々のキリスト教に対する心情と考え方が変えられたのだ。
6月12日当日、政府本部庁舎の門の前で朝祷会を開いた際、数十名の武装警官が防護盾をもって現場を警備していたが、本部庁舎の外には既に大勢のデモ隊が集まっていた。邢福増教授〔当時、香港中文大学・崇基学院神学院の院長〕の説教の直後、デモ隊による道路占拠がすぐさま始まり、朝祷会は人混みの中で「Sing Hallelujah to the Lord」を歌いながら閉会した。その後、30~40人の牧師たちが人間の鎖を作り、デモ隊と警官の間に立ちはだかった。
当時、通報を受けた警察官がメガホンを手に取り、「デモ隊の一部が大量のレンガを道路から掘り起して襲撃してくる疑いがある」と呼びかけたため、前線にいた警察はそれを聞いてすぐに装備を整え始めた。デモ隊もまた次々と傘を開き、1千人近い人が波のように前線に押し寄せてきた。私と他の数名の牧師たちは、さらに力を入れて隣の人の手をしっかりと握り、皆で腕を上げて「Sing Hallelujah to the Lord」を歌った。数名の牧師たちがデモ隊と警察を説得しようと試み、現場にいた立法会議員の胡志偉も警官と対話を試み、最後にはデモ隊は傘を収め、前線の警察も装備を下ろした。
長期にわたる活動の中で、初めて衝突を回避させることができたその時のことは、実に深く心に刻まれている。
楊建強 数日間の祈祷運動の後、さまざまに異なる教派の牧師や信徒たちが一緒に祈祷会に参加するようになった。またデモ隊も、牧師や信徒たちを受け入れ、あるいは認めるようになり、キリスト者に対する評価も変わった。これは牧師や信徒などキリスト者がこれまでしてきたことが、デモ隊や他の人々に認められたということだ。
王少勇 確かに、牧師たちがしてきた行動、あるいは祈祷運動の中での祈りやメッセージなどによって、ある人々の意識が変えられ、聖書の教えによっても社会に関心を払えることを学んだ人々がいた。
「条例」改正反対運動の中期:牧師たちの「水になれ(be water)!」
楊建強 2019年7月から9月にかけて、社会ではほぼ毎週抗議活動やデモが行われていた。この期間、一部の牧師が祈祷会を開催したり、政府に署名要望書を手渡したり、あるいは一部の信徒が政府本部市庁舎付近で祈祷会を開催したりしたが、こうした社会の動きとは対照的に、教会内の反応は全体として静まり返っていた。
しかし、その期間、牧師たちは、どのように信仰的・霊的な価値観をこうした社会運動に反映させるか、また単に抗議活動を行うだけではない、キリスト者としての運動への参与の仕方を考え続けていたのだった。牧師たちは皆、決して何の行動もしていなかったわけではなく、少し動きを緩めていただけであり、それぞれに「be water」〔ブルース・リーの名言に由来する運動の合言葉の一つ。臨機応援に対応することを意味する〕を展開していたのだ。私の教会も会堂を市民の休憩の場として開放したり、また救護所を設置したり、臨機応変の対応をしていた。
王少勇 当初、デモ隊と警察の間に割って入り緩衝役になろうとする牧師たちがいたが、7月21日が分水嶺となった。その日、上環〔香港島の北岸の地域〕で衝突が発生した際、牧師たちが人間の鎖でデモ隊と警察の間を遮ろうとしていたが、2人の牧師が警察に押し倒されて負傷し、しかも牧師たちは「勇武派」〔平和的にデモを行う穏健派に対して、暴力行為も辞さない強硬派〕から邪魔者扱いされてしまった。それ以降、我々は運動への参与の仕方を変えることにし、小さなグループに分かれて活動することにした。
7月から9月にかけて、いくつかの教会が会堂を休憩所として開放し、準備委員会もフェイスブック上に休息所となっている教会の情報をアップした。後に、会堂を開放した教会は「邪教組織」だといった批判もありはしたが……。また、その頃には牧師たちによるテレグラム〔やりとりが暗号化され監視されにくい通信アプリ〕のグループが設けられ、香港人の霊的ケアを行った。その他、10月から今年6月にかけて、準備委員会は毎月「香港を見守る祈祷会」を開催し、揺れ動く不安な社会の雰囲気の中にあって、信徒も他の香港市民も祈りによって神を仰ぎ見るように励ました。
新しき時代にホリスティックな福音を新たに語り直す
楊建強 過去1年間にしてきたことを振り返って、何も後悔することはない。実に霊的な運動とは、自分の力に頼るのではなく、神が権能を握っておられることを信じつつ、自分がなせることを尽くし、神がご自身の相応しき時に成就してくださると委ねることだ。
王少勇 確かにその通りだが、その間、物事がうまく進まず、正直、腹立たしく思うようなこともあった。今年5月26日に結成した香港牧師ネットワークが発表した「香港2020福音宣言」(以下「宣言」)だが、こうした宣言をまとめるという考えは、実は去年6月ごろにはすでに考え始めており、香港の新しき時代に、全包括的(holistic)な福音を新たに語り直したいと願っていた。しかし起草過程は1年にも及んでしまい、途中何度も修正を重ねた。大衆化や国際化の要素も考慮しなければならず、さらには宣言起草委員と牧師ネットワークのメンバーは、皆それぞれに異なる教派背景を持っているため、共通認識を得るのに多くの労力を使わねばならず、私自身も疲れてしまったことが何度もあった。
しかし、実に「神のなされることは皆その時にかなって美しい」(コヘレトの言葉3:11)と聖書にあるように、宣言を発表しようと考えていた当初の時期は必ずしても最善ではなかったのかもしれず、むしろ現在はちょうど国家安全維持法の施行を目前にしており、今日まで伸ばし伸ばしになっていたのも、神のよきみ心だったのかもしれない。
楊建強 教会の福音理解が、教会が社会に応答する際の立場や表現形式を決定づける。「宣言」を発表することで、教会が福音の内容を明確に理解し、社会に応答する方法を自然と身に着けられるようにということを願っていた。「宣言」は、発表当初は「香港のバルメン宣言」と呼ばれたが、バルメン宣言は第二次世界大戦の時期にナチス政権下にあったドイツ告白教会が出した信仰宣言であり、全体主義政権に対抗する要素が強いものだったと言える。
王少勇 しかし、バルメン宣言との相違点は、香港の「宣言」は「ローザンヌ誓約」を継承しながら福音を解釈し、全包括的な(holistic)な信仰の道筋を描き出すことを願って起草されたものであり、決して政治宣言などではなく、必ずしもバルメン宣言の全体主義政権への対抗の要素を継承しているわけではない。
また、「宣言」の中では全体主義政権の問題について触れているが、単に信仰と政権との関係に言及するだけでは、全包括的な福音とは言えない。宣言を起草する過程で、第四項の「虚偽を拒否し、真理を堅く守る」という文言を後から加えたのは、そのためだ。この主題は準備委員会の時から掲げてきたものだが、それは依然として現在の香港の状況と全体主義的政権に向けられている。
「国家安全維持法」下において、教会の存在意義を問い直す
楊建強 香港版「国家安全維持法」が施行された場合、多くの教会が今後どのようにすべきか考えねばならず、自己保全を図るか、それとも抵抗するかが教会の争点となることだろう。しかし、政治を完全に無視することも、解放の神学のように「力づくの革命」を主張することも、こうした両極端の立場は香港のコンテキストに相応しくない。むしろ、教会は神の国の価値観を持っているのだから、社会の不正義に直面する際には教会には教会としての役割が必ずあるはずであり、「宣言」第五項にあるように必ず教会的な行動が伴わねばならない。したがって、政権と向き合うことは避けがたい。
王少勇 教会は、国家安全維持法によって「壁際に追い込まれている」ような状況にある。中国の政治・法体系における定義では、「政権」には政府も含まれているため、政府の役人を批判することも「政権転覆」と見なされる可能性がある。もし、ある牧師が個人のフェイスブックに香港政府の役人を批判する投稿を掲載した場合、それも「政権転覆」と見なされる可能性がある。
では、教会は政権が語ることに従順でなければいけないのか、あるいは神の国の価値観の理解に基づき、真実を語るべきなのか。真にイエス・キリストを主としようとする教会には、選択の余地はない。もし教会が活路を見出すために「安全」な状況下で歩んでいこうとするならば、実に多くのことにおいて膝を屈めなければならず、「限界線」はますます後退してしまう。教会は、こうした妥協の道を行くのか否かを選択しなければならない。
楊建強 教会が問わなければならないのは、「いかに存続するか」ではなく、「なぜ存在するのか」である。我々は、まず「教会はなぜ存在するか」を明らかにしなければならず、そうすることで、はじめて「いかに存続するか」が分かるようになるはずだ。「いかに存続するか」は、政権が何らかの行動を起こした際、教会が自らを存続させるための反応を指すが、「なぜ存在するか」は、教会の本質が何であるか、神に属する群れはどうあるべきか、社会においてどのような役割があるかを問うことだ。今日の社会環境にあって、教会が自己保全の方法を探るだけでなく、神の国の価値観における「教会存在の意義」を見出すこと願っている。
最近、私が考えていることは、社会において、いかにして神の国の価値観を実践していくか、という点だ。過去1年間を見てみると、牧師たちの行動が低調であったり、あるいは次第に後退したりしていた時は、牧師の存在感はほとんどなくなってしまっていた。また牧師たちが明確に、神の国の価値観を社会運動に投げかけようとせず、社会運動が分裂し、デモ参加者の間に争いが生じた時、キリスト信仰の価値観は何の役割も発揮することができないでいた。こうしたことを通して、何を投げかけることで社会がそれを認め、また神の国の価値観を香港に建て上げることができるのかを考えさせられてきた。
社会に最も必要な「悔い改め」と「公正な道理」
楊建強 香港社会が現在、最も必要としている「神の国」の価値観は、「悔い改め」だ。香港の核心的価値はもはや「自由」や「民主」ではなく、「お金」になってしまった。民主派と親中派のいずれを支持するかの背景には、結局はお金が関係しており、多くの人は生活のために親中派を支持し、若者たちは社会の経済格差のゆえに民主派を支持している。つまり、たとえ真に自由や民主を落ち求めようとしても、それが大多数の人の核心的価値であるとは限らないのだ。さらには、国際上の力関係もお金に左右され、諸外国が追い求めている自由や民主も、お金によって脇に追いやられてしまうこともある。
香港社会は「悔い改め」という価値観を回復し、自分たちが追い求めているものが何であるのか、またどのような価値観に基づいて我々の社会の将来を築いていくのかを、改めて顧みなければならない。
王少勇 香港社会が最も必要としている価値観は「公正な道理」だと、私は考えている。「公平」や「正義」という言葉よりも、「公正な道理」のほうが非宗教的で分かりやすいだろう。この一年間、香港は「鹿を指して馬となす」ような虚偽に満ちており、多くの人が「失踪」させられたり、「冤罪」で起訴されたりしても、政府は事件に疑わしい点はないと主張するだけで、調査のプロセスを透明化しようとしない。香港には不公正な事件が溢れている。政府は世俗の政府として、世俗の「公正な道理」の原則を保持するようにと願う。
現在の「香港牧師ネットワーク」は1年前に結成した準備委員会にとって代わるものだが、このネットワークを通して香港の牧師たちの声を外に届け続け、福音によって香港が直面する苦境と課題に応答し、困難な状況に対処し得る霊的運動をリードし、各個教会・牧師・信徒に牧会上の支援を提供したい。
しかし、実は「宣言」への署名者数は必ずしも理想的とはいえず、昨年には800人余りの牧師が署名に参加したのに比べ、「宣言」への現在の署名者数は500人に満たない。「宣言」の内容に同意できないのか、あるいは何か他に政治的配慮があるのか、その理由は定かではない。それでも、「宣言」のパンフレットの購買者数は予想よりも多く、100枚分を購入し信徒に配った教会もあるほどだ。
将来的には、牧師ネットワークが「宣言」について解説する講演会を企画したり、あるいは「宣言」のパンフレットをより多く提供することで、牧師たちに参考にしてもらい、また教会で信徒たちに配布してもらえるようにするなど、啓蒙活動を展開したりしていきたい。
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