社会的課題としての自殺 仕組み作りで防ぐ 奥田知志(抱樸理事長)×清水康之(ライフリンク代表)対談 2020年10月11日
8月の自殺者が昨年に比べ大幅に増加し、全国で1800人を超えた。著名人の自殺に関する報道も相次いでいる。コロナ禍との関連を指摘する声もある中、すでに4月の段階でリーマンショック級の失業者、自殺者の増加を予見し、警鐘を鳴らしていたNPO法人抱樸(ほうぼく)代表の奥田知志氏(日本バプテスト連盟東八幡キリスト教会牧師)は、「恐れていた事態に近づいているのかもしれない」と改めて危惧を示した。「あなたに死んでほしくない」と訴えて、緊急支援を呼び掛けたクラウドファンディング(本紙8月1日付で既報)では、NHK「クローズアップ現代」での取材を機に自殺対策支援の取り組みを始めた清水康之氏(NPO法人ライフリンク代表)と対談し、社会の構造的な問題を指摘した。清水氏がライフリンクを立ち上げた2004年当時、自殺はまだ「個人の問題」とされており、社会的な対策の取り組みも周囲の理解もまったく得られず、遺族たちは身近な人を亡くしたにもかかわらず安心して悲しむことすらできなかったという。6月30日に行われた対談の中から抜粋して紹介する。
リスク評価し手前の段階で食い止める
〝「命」問い直すチャンスに〟
清水 取材すればするほど、「正直者が馬鹿を見る」の究極形が自殺ではないかと考えるようになりました。では、追い詰められている人に対して社会は何をしているのかというと、ほとんど何もしていない。むしろ遺族を追い詰めるような価値観や偏見が蔓延(まんえん)していて、追い詰められている遺族が多い。そういう状況を目の当たりにした時に、何とか変えていかなければならないなと。
私自身、「こうあらねばならぬ」「こうあってはならぬ」という日本おび社会の同調圧力、周りの目に怯えながら生きることに息苦しさを感じていました。「自分が感じていた生きづらさ、息苦しさの象徴的な問題が、この自殺の問題だ」と、腑に落ちたんです。自分の人生や存在に意味を感じながら生きられる、人が自分の存在に意味を感じながら人生を全うできる社会にしていきたいという気持ちが強くなっていきました。それでNHKを辞め、ライフリンクを立ち上げたんです。
奥田 まさに自殺というのは個人の問題ではない、社会的なものですよね。「自己責任でしょう」「がんばらなかった人がそうなった」という風潮があります。それに加え遺族を責めるような空気もある。これらをひっくるめて社会全体の問題だと思います。
コロナの状況もそうですが、思いがけないことが起こります。すると自分という主体がそれらによって阻害され、削り取られていくような気持ちになります。「こんなはずじゃなかった」と苦しくなる。でも、そういう状況の中であえて自分の生き方を選んでいく、選んでいける社会が大事ではないかと思います。「ピンチはチャンス」。あまりにも軽い言い方かもしれないけれども、問題のただ中でどう生きるのかを選択できる社会でありたい。時代の中で苦しんでいらっしゃる人にとって、コロナが新しいあり方の入り口になる。十字架が復活の入り口であるように。
今、コロナをきっかけにして、旧来あった問題が大きく噴出していますよね。それなのにあっさり「新しい日常」にシフトするというのはどうなのか。先日対談した批評家の若松英輔さんが、「まだ宿題が終わっていないのに、次のステージには行けない」とおっしゃっていました。本当にその通りだと思います。解決しないまま社会が持ち続けてきた課題を、この機会にもう終わらせないといけない。それこそが「新しい」ことになります。
残念ながら今の社会は貧困も格差も常態化しています。作り替えなければならないところまで来ています。そんな中、清水さんを見ていてすごいなと思うのが、「ただ俺『だけ』がやる」のではなくて、法律を作り大綱を作り、そして仕組みを作るために、国全体を動かしたところです。
清水 仕組みにしないと自分が辞められないので……。私が関わらなくても、当たり前のように、真面目にコツコツ生きた人が「いろいろあったけど自分の人生、自分なりにいいかな」と思って人生を全うできる、そういう社会に私は暮らしたいのです。
奥田 ちょうど今、いろいろな仕組みを作っておられるところですが、これからコロナ禍による経済的な影響がピークになっていくと思っています。ある指標では年内に100万人が失業すると。この状況になって、自殺に関して今後の予測をどう立てておられますか?
清水 私もこれからだと思っています。感染症の対策を徹底したことで経済が止まりました。経済が止まったことによって仕事がなくなったり、収入が低下したり……生活にまでどんどん転化されていきますよね。今度は暮らしの中で圧が高まって、家族の中で虐待が起きたりDVが起きたり、学校でいじめが増えていったり、あるいは監視社会のようなことにもなっていくかもしれません。周囲からの抑圧によって、これが心の問題になったり、依存症の問題が悪化したり……。経済の問題だったのが、どんどん個々人の「命」の問題に直撃していく。
政府が行っている生活支援などもあるにはありますが、生活が立ち行かなくなる人がどんどん増えていって、それによって自殺のリスクがますます高まっていく。こういうことがすでに想定できるので、それに対してどう手を打っていくか。ある程度想定されるリスクを低く見積もるのではなく、過大評価と言われるくらいしっかり見積もる。過去を踏まえ、リスクを正しく評価し、それに対して手を打つ。
具体的には、今、市町村の窓口に住民が殺到していますが、その中ですでに自殺リスクを抱えている人、もう間もなく自殺リスクを抱え込む人がいるということを認識する。そして、その人たちに対して生活困窮や生活保護の制度に関わる支援だけでなく、保健師らと連携した支援を行い、命に関わる少し手前の段階で食い止める。
特別な人が特別な問題を抱えて、突然自殺で亡くなるというわけではないんですよね。自殺対策は亡くなるギリギリの局面だけでなく、その手前でも介入の余地があるんです。手前にあるさまざまな問題の対策と自殺対策とをしっかり連動させて、生きることの包括的な支援として行う。これが今問われていることです。
自殺というのは点と点がつながって線で起きているわけなので、その線に合わせる形でさまざまな対策の連動性を高めることが大切です。線の対策ができていくうちに、線と線が重なり合わさって面になっていく。その面というのは地域のセーフティネットそのもの。地域の誰か、どこかにさえたどり着ければ、そこを入り口にして、その人が必要にしているさまざまな支援策につながっていけるんです。
奥田 なるほど。「津久井やまゆり園事件」で表面化した、「意味のある命」と「意味のない命」の分断についてですが、命に向き合ってこられた清水さんから見て、「命」とか「命を大事にする」とはどういうことだと思われますか? とても難しい問いだとは思いますが、私自身も答えのないもんもんなかで悶々としていまして……。
清水 そうですね。……すぐに答えは出ませんが、少なくとも行動で答えを出していくしかないのではないかと。これまで命はあまりにも、言葉だけで大切にされ過ぎてきた。つまり「命は大切」という言葉よりも、命をどう守っていくのか、実践でその言葉の意味を担保する。本当に「命の選択」を迫られる時が来るかもしれないし、いずれ必ず命は終わる。そういう「ナマモノ」としての命とどう付き合っていくのかが、日々問われています。
奥田 実は経済においても社会保障においても、私たちはこの間あまり考えないで過ごしてきたと思います。どんどん格差が広がって、大事にされている命とそうでもない命が現に存在しているのに、そのリアリティをまったく持たないまま「命は大事」と言い続けてきた。経済一つとっても、僕らは考え、悩み、行動しなければならなかったのに、あまり真剣にならないで過ごしてきたのではないか。
医療関係者は「命」のためにがんばってくれています。世界中が「感謝」をしている。でも、一方で医療関係者やその家族が地域で排除され、差別される。結局「自分の命」が大事ということで終わっている。「自分の命」が大事だから医療関係者が大事と言う。では、医療関係者の命はどうなのか。本当に「命が大事」と言い切れているのでしょうか。コロナ禍が、リアリティを失った社会にもう1回「命ってなんだ」と問い直すチャンスになればいいなと思います。
奥田知志 おくだ・ともし 1963年滋賀県生まれ。関西学院大学神学部、西南学院大学卒業。九州大学大学院博士課程後期単位取得。東八幡キリスト教会に赴任すると同時にホームレス支援を開始。NPO法人「抱樸」理事長のほか、共生地域創造財団理事長、生活困窮者自立支援全国ネット共同代表、全国居住支援協議会共同代表、国の審議会などの役職も担う。
清水康之 しみず・やすゆき 1972年東京生まれ。高校を中退し、単身渡米。現地校に転入学する。米ワシントン州レイクワシントン高校、国際基督教大学(ICU)を卒業後、NHKに入局。2004年にNHKを退職し、自ら設立したライフリンクで代表を務める。