スコットホール献堂100周年 早稲田奉仕園でシンポジウム 2020年12月1日
早稲田奉仕園のスコットホール(東京都新宿区)が今年1月に献堂100周年を迎えたことを記念するシンポジウム「若き日の出会い杉原千畝(ちうね)と早稲田奉仕園―創設者ベニンホフ宣教師と1920年前後の青年たち」(早稲田奉仕園主催)が10月25日、同ホールで開催された。新型コロナウイルス感染防止を万全にした会場には約40人が集まった。
早稲田奉仕園は、米国バプテスト教会の宣教師・ベニンホフ博士が早稲田大学の創始者・大隈重信の依頼を受け、キリスト教主義の学生寮「友愛学舎」を開いたことに始まる。スコットホールは、1921年に米国のハリエット・エマ・スコット夫人の寄付により完成し、寮を含めた学生センター「早稲田奉仕園」として現在の礎が固められた。
この日は、スコットホールが献堂される前に設立された「信交協会」に焦点が当てられた。17年に設立された信交協会は、若い学生を中心とするキリスト教の集会で、22年までに146人の会員がいた。全8条の信仰箇条からなる信交協会憲法のあとには、入会した者の名簿が続き、そこには、朝鮮独立運動家の宋継白(ソン・ケベク)、「命のビザ」を発行した杉浦千畝のサインが残っている。シンポジウムでは、彼らの活動とその後の歩みを通して、早稲田奉仕園との関わりを検証した。
登壇したのは、恵泉女学園大学副学長の岩村太郎氏、日本バプテスト同盟理事の原真由美氏、明治学院大学キリスト教研究所所長の徐正敏(ソ・ジョンミン)氏。ファシリテータを、雑誌『週刊金曜日』の発行人で、早大生時代に「友愛学舎」に住んでいた植村隆氏が務めた。
岩村氏は、杉原千畝が数千人のユダヤ難民にビザを発給したのはヒューマニズムからの行為で、キリスト者だったから救ったという捉え方に難色を示しつつも、「若い時に学んだ『神以外の何物も恐れない』という信仰は、心の片隅にいつもあったのではないか」と述べた。「東京朝鮮留学生2・8独立宣言と韓国3・1独立運動」とのテーマで語った徐正敏氏は、「2・8独立宣言」に参加したのは、草案者である李光洙(イ・グァンス)をはじめ、半数が早稲田大学生であったことに言及。杉原千畝と宋継白は同時期にベニンホフ博士より指導を受けていたことになる。
「ベニンホフと早稲田奉仕園」と題して講演した原氏は、1907年に宣教師として来日したベニンホフ博士が早稲田大学でも教鞭をとっていたことを紹介。当時の奉仕園の様子をつづった記録から、「東洋と西洋の双方について理解を深めるよう教育されており、やがてこれらの学生たちは国家の間にある人種的、社会的、政治的な隙間の架け橋になるだろう」との一文を引用し、奉仕園のその後の働きからも、実際にそのようになっていったと回顧した。(クリスチャンプレス)