【独占手記】 「過失」ではなく「被害」だと自覚するまで――在学中の性暴力、そして毒親との決別 「被害者を救う言語も、加害者を更生させる言語も、教会は持ち合わせていない」 2020年12月25日
教会の「聖職者」による性的虐待の報道が後を絶たない。国内でもようやく被害者による会が発足し、かつて司祭らから被害にあった当事者が重い口を開き始めた。海外では著名人による告発を機に「#MeToo」運動も高まりを見せた。事柄の性質上、表には出にくいものの加害も被害もごく身近に存在する。教会も決して例外ではない。今回、同様の被害を繰り返させないためにと、実名での告発を名乗り出た横井香織さん(31)は、在学中に受けた性暴力について、これまで大学や教会の関係者に打ち明けたことはなかった。自身の体験を「被害」ではなく「自分の過失」だと思っていたからだという。その後も、加害男性から謝罪の言葉は一切ない。主の降誕を祝う喜ばしい季節だが、目を背けてはならない現実が、そこにある。
2011年2月4日を境に、私の心は壊れてしまった。壊れたまま3月に震災に遭い、壊れたまま4月の復活祭でカトリックの洗礼を受け、壊れたまま卒論を書き上げ、壊れたまま就職先を決めて大学を去った。
あれから9年、壊れたままでいるくらいなら壊してやるという衝動のままに、私は筆を執る。2008年に実家から逃れるように上京し、東京のど真ん中で大学生活が始まった。依存的な母から言葉の暴力を受け続け、自尊心というものがまるで失われていたため、花の女子大生というフレーズからはほど遠く、ヒラヒラした愛らしいキャンパスの華たちを遠い目で見つめていた。まさにマイナスからのスタートだった。
カトリック系サークルでの出来事
真宗王国の石川で生まれ育った私にとって、神学部の学びも、隣接する大聖堂も、すべてが新鮮に映った。戸惑いの中で迎えた新歓の時期、学部の先輩に促され、伝統ある学内のカトリック系サークルに案内された。引き返す勇気もなく、そのまま入会することにした。そこに居合わせた同じ学部の新入生に、後に深い傷を負わされることになるとは、想像すらしていなかった。
小動物のような男だった。周囲から浮き気味な私にも親しみを持って接してくれたので、当初の印象は悪くはなかった。時折、「頭に何か付いてるよ」と髪に触れられることがあったが、大して気にも留めずに時は過ぎた。今思えば、一度や二度ではなかったため、その先の何かを予感させる不自然な振る舞いだったのだが。
最初の事件は大学1年の終わり、サークルの追い出しコンパの日に起こった。借りていた会館の別室で、喧騒を逃れるように一人で休んでいたら、彼が入ってきた。机を挟んで向かい合い、他愛もない会話を交わしていると、不意に向こうから手が伸び、指を絡ませてきた。繰り返されるうちに変な空気になり、こちらに近づくなり後ろから抱き締められた。
耳元で「2人だけの秘密だよ」とささやきながら。性経験はおろか恋愛すら未経験だった19歳の私は、たとえ好きでもない相手からの行為であっても自然と体が反応し、ただ訳もわからず混乱した。半年くらい経ってから、なぜあんなことをしたのかと問うと、「求められたから応えた」と返ってきた。え? 私のせいなのか? とますます混乱した。
進級してから、授業やサークル活動でほぼ毎日顔を合わす日常に、平静を装いつつ心の混乱は続いた。ずっとあの出来事が頭を駆け巡り、悶々と考えても答えは出ず、結果、彼のことが好きなのかもしれないと錯覚を起こしてしまった。完全に脳がバグっていた。
次の事件は、2年の秋に起こった。夜にメールで呼び出され、大学近くの居酒屋で「お前の貞操を」などと口走るので、店を出た後に襲われるのではないかと身構えた。口先だけで非力な彼にそんな甲斐性はないと安堵したところで、麹町のビル街の柱を背に、唇を押し付けられた。しまいには舌を入れられ、あまりの気持ち悪さに「ナメクジみたいだ」とつい呟いてしまった。そして「俺と付き合わないか」と言われ、曖昧に濁して事なきを得た。本当は彼のことなどまったく好きではなかった。ただ、性的対象として扱われている間は、ズタボロに傷ついた心の穴が埋められていくような気がして、きっぱりと拒むことができなかった。
それからは、「俺を思って盛(さか)れ」などと、彼から卑猥な文面のメールが届くようになった。「エロ写メを送れ」に対しては、下着姿の上半身の自撮りをつい送ってしまった。我に返った時、私は何をやっているのだろうと悔いた。
また同時期に、放課後のサークル活動を終えた夜、帰り道で彼の気まぐれのままに性的な行為を受けるようになった。服に手を突っ込み胸を触られるのはいつものことで、自称サディストな彼の趣味らしく、首筋に歯形を残される日もあった。好きでもない相手からいけないことをされているという自覚、誰にも話せない後ろめたさ、人恋しさから温もりを求めてしまう渇望感に押し潰され、人知れず葛藤し、苦しんだ。
最後の事件~逃避としての受洗
最後の事件は、大学3年の春休みに起こった。ラブホテルに行くという彼からの要求に、これまで幾度となくギリギリな接触を許してきたのに、今さら拒むことができなくなっていた。そして何よりも「このタイミングを逃したら一生処女だ」と、自尊心の欠片もない21歳の私はひどく思い詰めていた。
念のためにコンドームと、持参するよう指示されたバイブレーターをバッグに入れていった。秋葉原の大人のおもちゃ屋で、使えもしないのに好奇心から購入したピンク色の性具は、奇しくも大学と同じ名前の「ソフィア」という商品名だった。
東新宿だか南新宿だか忘れてしまったが、普段は使わない新宿の駅で待ち合わせた。華やかなホテル街を抜けて、さびれた場末の安宿に着いた時、しょせんこの程度の扱いなんだなと悟った。それでも逃げるわけにはいかないと、覚悟を決めて入室した途端、自慰しろと促された。漫画程度の性知識しかない生娘でも、前戯というものを知っていたので絶句した。最初から、手を煩わせない、自分に都合のいい穴だけが目当てだったのだろう。その証拠に、凍り付いたままの生娘を前にし、あからさまに苛立ち始めた。業を煮やして指を突っ込まれ、性具の振動がめり込んでいく時、これまでに感じたことのない強烈な痛みが貫いた。そして「処女のくせにこんなに濡らして好き者だな」と薄笑いを浮かべるのだった。
コンドームを2枚重ねにして装着する姿には、そんなことをしたら余計に外れやすくなるのに、何も知らないのかと愕然(がくぜん)とした。恐怖感と緊張で足が開かず、「欲求不満のデブ」「下手くそ! AVとか見ねーの?」「小さい胸だな、パイズリもできねーのかよ」とひとしきり罵倒を浴びせられた後、結局「萎(な)えた」と吐き棄てられ、白けた空気のままことが終わった。ラテックスの皮膜に付いた血液を見せられ、虚ろな気持ちがどっとあふれた。
挙句の果てに、服に着替えた後で就活についての説教が始まった。「お前、こんなんじゃ就職なんかできねーぞ」と一方的に責め立ててきた。ここまで来ると、もう何が起こっているのか、意味が分からなかった。私が全部悪いんだなと思い込むことで、自分を納得させようとした。
2時間の「ご休憩」から解放され新宿を出て、1人で市ヶ谷の学生寮に戻った時、涙すら出なかった。とにかく自分を責め続けた。その日を境に私の心は壊れてしまった。
後日、サークルの集まりを終えて帰ろうとした時、後ろから追ってきた彼に「なあ、もう1回ホテルに行かねえ?」と、肩に手を回された。雙葉学園の校門前だった。腕を払いのけて拒否を示すと、それ以降、彼からの誘いは一切止んだ。
心が壊れたまま、2011年3月11日が訪れた。余震におびえながら、4月に学内の復活徹夜祭ミサで受洗した。洗礼を受けようと思ったのは、親の価値観とは異なるカトリックの考えに触れ、「自分は愛されているのかもしれない」と感じるようになったのがきっかけ。被害を受けた当時は洗礼の準備中でもあり、傷ついた心から目をそらし、今は受洗に向かって集中するんだと思い込むようにしていた。シスターからも、「洗礼を受けると、これまでの罪がすべて取り去られて清くなる」と言われていたので、それを信じていた面もある。洗礼準備が、辛い被害体験からの逃避になっていた。大学生活の最後の1年は、人前ではニコニコしながらも精神的に沈み込み、授業を欠席することも増えていった。
そんな中、「11月までに就職先が決まらなければ石川に帰ってこい」という母の脅しに抗(あらが)い、静岡市の知的障害者施設に就職を決めた。卒論は、その施設が加盟している国際的共同体の創立者、ジャン・バニエ氏をテーマに書いた。そして、心が壊れたまま東京を去った。
結婚後も続く苦悩
2017年に結婚してから、夫との性交渉を次第に避けるようになった。行為の最中、心が死んだような瞬間に襲われるのが耐えられなくなった。その原因が忌まわしい初体験にあることは頭では分かっていたが、自責の念にとらわれ、心に蓋をし続けた。一見してすべてがうまくいっているようだったが、本当は人生に行き詰まりを感じていた。
そこで、転機が訪れた。静岡で活動するカウンセラーとの出会いである。毎月欠かさずセッションを重ねるうちに、染みついていた自己否定感が生まれつきのものではなく、家庭環境、特に母からの不適切な養育が背景にあることを知った。「あなた自身の人生を生きるために、お母さんに復讐してください」と助言を受け、これまでため込んでいた母への遺恨を手紙に書いて送り、それきり実家と音信を断った。
さらに、そのカウンセラーは性教育の民間団体で長年活動していることもあり、性について向き合うきっかけを与えてくれた。そこで「あなたが初体験で受けたのは性暴力被害です」と告げられた。数日後、性暴力についての本を書店で立ち読みしていたら、あなたは何も悪くないのだと言われた気がして、9年の時を経て初めて涙がこぼれた。自分の過ちだと思い込んできた初体験が、性暴力被害だったことを認めた瞬間だった。本を購入し読み進めていくと、性暴力について誤った理解をしていたことに気づいた。同意の上で性交渉が行われたように見えても、実際には拒むことができない状況が加害者によって作り出され、性暴力が発生するケースがあるのだと知った。また、性暴力は性欲ではなく、支配欲によって引き起こされることを学んだ。
これまで2年間カウンセリングに通い、私は次の結論に達した。母から条件付きの愛ならぬ無条件の否定を浴びて育ち、自分は誰からも愛されないと信じ込んでいたがゆえに、一時でも架空の愛をくれる人間にすがり付いてしまったのだと。そして性暴力被害を受けたことにより、さらに自己否定感が強化されてしまったのだと。
カウンセラーは、「傷つけられたら、やられた相手に対してやり返さないと、第三者を傷つけてしまうことになる」としばしば語っている。私は、夫を何度も傷つけてしまった。神学部の授業のディスカッションで、「聖家族が僕の理想の家族だが、自分の家庭は違っていた」と話していた加害者もまた、何かしらの被害者であったのかもしれない。だがその恨みを私にぶつけて傷を負わせたことが、重大な過ちであることに変わりはない。
近年、教会内の性暴力被害が顕在化するようになった。今年2月には、私が卒論のテーマにしたジャン・バニエ氏が、生前に霊的指導と称して性的虐待を行っていたことが明らかになった。
私は現在、カトリック信者でありながら、教会共同体と距離を置いている。被害者を救うための言語も、加害者を更生させるための言語も、教会は持ち合わせていない。そう肌で感じているためである。壊れた心の金継ぎをし、自分の道を歩むため、今日まで私は生き延びてきた。どうかこの手記が私的な告発を超えて、性暴力を生み出す社会をぶち壊す息吹となりますように。
【緊急時の相談窓口】
□性暴力救援センター・東京(SARCサーク東京) Tel 03-5607-0799(24時間365日受付)
□NPO法人BONDプロジェクト Tel 070-6648-3975(火・木・日曜16~19時)
□国籍・在留資格を問わない女性と子どもたちのための緊急一時保護施設「HELP」 Tel 03-3368-8855 月~金曜(日本語、英語)、火・金曜(タガログ語)/10時~17時
□社会福祉法人カリヨン子どもセンター Tel 03-6458-9120(平日10時~17時)
□宮城県仙台市の女性用ケアハウス「LETS仙台」 Tel 070-6468-9596(顧問・竹迫)
横井香織 よこい・かおり 1989年石川県生まれ。静岡市在住。自閉症・知的障害のある弟と育ったきょうだい児。神学部神学科を卒業後、2012年より4年間、静岡市のラルシュかなの家でグループホームに勤務、共同生活を送る。2017年、椿カメリア名義で歌手の村上裕子(現・星園祐子)に『こんな私でごめんね』を歌詞提供し、作詞家デビュー。