【東アジアのリアル】 不自由な社会への転落に直面する香港 倉田明子 2021年1月11日
昨年6月30日の国家安全維持法(以下、国安法)の施行後、香港は急激な変化を遂げている。香港の代名詞とも言える「自由」が急速に収縮した半年だった。
一昨年来のデモのスローガンだった「光復香港、時代革命(香港を取り戻せ、時代の革命だ)」について7月2日、香港政府は「国家と政権を転覆する意図を含む」として国安法違反になるとの見解を発表した。この2句を含む運動歌「香港に栄光あれ」も香港では公の場では歌われなくなった。香港中心主義を唱える「本土派」寄りと見なされた書籍は、公共図書館の書棚から消えた。
また、6月以来、防疫対策を理由に屋外で集まって良いのは4人まで(現在は2人)と定められ、デモはほぼ不可能な状況が続いている。民主派は9月の立法会選挙に向けて民間の予備投票を行うなど、戦いの場を選挙活動に移し始めていたが、7月末、立候補締め切り直後に現役議員を含む12人が立候補を取り消され、さらに立法会選挙そのものが1年延期された。その間にも昨年来のデモに関連した逮捕は続き、すでに逮捕者1万人を超え、起訴も2千件を超えた。国安法制定と同時に設置された国安法関連の専門部署である国家安全処が、国安法以外の罪状の案件で捜査、逮捕するケースも増えている。
8月には周庭(アグネス・チョウ)や、政府に批判的なメディア蘋果日報の創始者黎智英(ジミー・ライ)ら10人が国安法違反容疑で逮捕された。この件で逮捕された若者の1人は保釈中に仲間11人と船で台湾への逃亡を試み、中国の領海で逮捕された。中国国内で拘留され、家族との面会すら許されないまま、12月30日、未成年者を除く10人に懲役3年から7カ月の実刑判決が下された。審理内容は一切明かされていない。
立法会では11月、突如香港政府によって4人の民主派議員の議員資格が剥奪された。12月2日、周庭や黄之鋒(ジョシュア・ウォン)ら3人の若者が昨年6月の警察本部を包囲する未許可集会を煽動したなどとして起訴されていた裁判で、懲役7カ月から13カ月の実刑判決が下された。特に周庭は前科もなく参与の度合いも軽微なため、量刑は社会奉仕になることも予想されていた。ところが社会奉仕はおろか、執行猶予もつかず、上訴期間中の保釈も認められずにいる。そして11日、別件の詐欺罪で拘留中だった黎智英が、国安法の外国との共謀の罪で起訴された。23日に一旦保釈が認められたが、検察の上訴により31日、再び収監された。
黎智英は熱心なカトリック教徒として知られる。拘留直前の日本メディアからのインタビューに対し、外国との共謀罪を科される危険を承知の上で、声を出せる限りそうするのが自分の義務なのだと語り、「香港の人々のために祈ってください」と呼びかけた。教会関係では、ホームレス支援などに携わり、昨年来のデモではデモ隊への人道支援の提供や警官隊との調停を行うなどしてきたプロテスタントの好隣舎北区教会の主任牧師および教会名義の銀行口座が突如封鎖され、職員2人がマネーロンダリング罪で逮捕され、国外にいた主任牧師夫妻は指名手配された。教会は不当な容疑だと表明したが、職員20人が牧師への不信感を理由に一斉辞職するなど、動揺が広がっている。民主活動家の亡命や市民の海外移民も増加している。
香港のあらゆる局面で、自由や三権分立を破壊し、歯向かう者を力ずくで沈黙させようという政府の姿勢があらわになってきている。イギリス統治時代の香港に民主はなかったが、人々は放任され、自由だった。自由の歴史が途絶えたのは第二次世界大戦中の日本占領期だけだ。香港は今また力による管理、不自由な社会への転落に直面している。中国政府による弾圧を止めるには、国際社会の監視しかない。香港の現状を私たちはこれからも注視していく必要がある。
倉田明子
くらた・あきこ 1976年、埼玉生まれ。東京外国語大学総合国際学研究院准教授。東京大学教養学部教養学科卒、同大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻博士課程修了、博士(学術)。学生時代に北京で1年、香港で3年を過ごす。愛猫家。専門は中国近代史(太平天国史、プロテスタント史、香港・華南地域研究)。