【夕暮れに、なお光あり】 できることとできないこと 島 しづ子 2021年1月21日
友人からの手紙に苦労の日々が綴られていた。隣人の不正やとんでもない出来事に遭遇して、失望しているのかと思ったが、それらがあったからこそ、真実が明らかになって良かった、と最後に結んであった。自分にとって都合の悪いことの影にも神様のご計画があるという言葉にハッとした。
私は前任地を離れるにあたり、諸教会の方々に言った言葉がある。「若い牧師にない物ねだりをしないでください。できないことを求められることは暴力に等しいです」。言い過ぎかなあと思ったけれど、そのことで苦しんできた若い牧師が多いので伝えておきたかった。
同じようなことが私にも起きた。名古屋を離れる時、後輩牧師が「他の方は隠退する歳なのに、島先生は新任地ですか?」と笑っていた。そう、隠退する年齢だから、多くは期待されないだろうと思って赴任してきた。が、一部の人から多大に期待されていることが分かった。今の生活は1週間の予定を立てて、週報を作る日、メッセージ原稿を作る日、教会の掃除の日(1時間以内で終わる)、新基地建設抗議行動に辺野古に行く日と決めて、体調を整えて過ごしている。
日曜日の礼拝とコーヒータイムが終わり、皆さんが帰るとどっと疲れが出る。だから昼寝をする。辺野古からの帰り道でもサービスエリアで昼寝して帰ってくる。
先週、抗議船に乗っていた時、先輩船長が「沖縄に来てどんな感想?」と聞いた。「72歳なのに年寄り扱いされないことが嬉しいですね」と答えた。同い年のその船長は黙っていたが、私たちより少しばかり若い船長が言った。「実際、年寄りじゃないからね」と。その日の船の乗組員は、主船長は72歳、他の船長は現役引退してから辺野古に通っている人たちだから60代半ばから60代後半らしい。辺野古では年寄りが大活躍しているし、沖縄全体が70代は若いらしい。とは言え、若い振りをする必要もないから、無理をしないことを心がけている。
今の生活は楽しいし、精一杯だ。が、ある人からさらに期待していることを言われて少し落ち込んだ。が、そこは年の功、無理できないのだと本人にも伝えた。このことで学んだのはいくつになっても、できないことを求められるのは傷つくことだということ。まだまだ修行が足りないと思わされたことだった。
「主を畏れることは知恵へと導く諭し/誉れに先立つのは謙遜」(箴言15:33)
しま・しづこ 1948年長野県生まれ。農村伝道神学校卒業。2009年度愛知県弁護士会人権賞受賞。日本基督教団うふざと伝道所牧師。(社)さふらん会理事長。著書に『あたたかいまなざし――イエスに出会った女性達』『イエスのまなざし――福音は地の果てまで』『尊敬のまなざし』(いずれも燦葉出版社)。