【映画評】 祈りのアフガン 『アウトポスト』 2021年3月15日
東日本大震災から10年となるこの2021年は、同時にアメリカ同時多発テロから20年の節目でもある。そしてニューヨークのツインタワーを崩落させたあの事件の翌月から20年間、結果としてずっと紛争の終わらない国がある。アフガニスタンだ。
映画『アウトポスト』が描くのは、ジョージ・W・ブッシュが開戦の狼煙を挙げてから8年後、ヒンドゥークシュ山脈奥地の米軍前哨基地で起きた死闘“カムデシュの戦い”である。草木も生えない荒涼とした峰々が壁となって取り囲むその基地へ駐屯するわずか54人の部隊が、タリバン兵数百名の急襲に遭い甚大な被害を出す。立地の悪さを軽く見積もり、のち米軍の方針転換さえ導いた問題の大きな戦術の下、各々に貧しさや苦境を抱えつつ目前の状況を戦い抜こうとする兵士達の相貌。一見ありがちに星条旗の栄光を誇りつつも米国礼賛に終わらないその構成は、米軍のソマリア撤退の呼び水となった戦闘を物語るリドリー・スコットの名作『ブラックホーク・ダウン』の熾烈さや、イラク戦争下の狙撃兵同士の対峙を描くクリント・イーストウッド『アメリカン・スナイパー』の緊迫を彷彿とさせる。
アフガニスタン山中での米軍兵へ肉薄する作品では近年、監督らが長期従軍取材したドキュメンタリー『レストレポ前哨基地』も日本公開されており、地の利の悪さや族長集会の様子など『アウトポスト』とほぼ同一の光景が展開される。しかし本作を鑑賞中なによりも筆者の脳裡をよぎったのは、同地へ出征するソ連兵を映すアレクサンドル・ソクーロフ『精神の声』(1995年)の映像記憶であった。オバマ/トランプ政権時しばしば紙面に踊った「アフガン撤退」の文字は、元は80年代のソ連軍撤退を指す言葉であった。328分に及ぶ『精神の声』に映り出る若者の多くは、ロシアでなくソ連衛星国の若者達である。のちほとんどが戦死を遂げた彼らの境遇と、低所得者層出身が大半を占める米国志願兵に通底するものは実際多い。
“Духовные голоса””Spiritual Voices from the diaries of war”
直近の20年間に限っても、アフガニスタン報道といえばくり返し破られる停戦や和平合意の知らせばかりで、それさえも日本では年々扱いが縮小し続けている。そうしたなか近年最大の注目を浴びたのは、一昨年末の医師・中村哲をめぐる死亡報道だった。『アウトポスト』前半で、キーティング大尉という現場指揮官が登場する。住民との信頼関係こそ最大の防壁という信念により、近隣の族長からの尊敬を勝ち獲った大尉はしかし、移動中にタリバンの砲撃を受け命を落とす。時間と精魂をかけ築き上げたものを一撃で崩落させる描写に、否応なく中村の死が想起された。現地定着型開発支援NGOの先駆けであるペシャワール会を率いた中村は同時に敬虔なクリスチャンとしても知られ、医療農業支援からモスク建造まで住民の心に寄り添う活動の幅広さは唯一無二だった。
ちなみに映画では、実在したこの大尉をスキンヘッドとなったオーランド・ブルームが好演し、二枚目俳優として台頭した若手スターのイメージを刷新した。また主人公の二等軍曹を演じるスコット・イーストウッド=写真上=はクリント・イーストウッドの息子であり、新任大尉に扮するマイロ・ギブソンはメル・ギブソンの息子で沖縄戦を描く『ハクソー・リッジ』他でも従軍兵を演じ続けている。こうした世代の更新と精神の継承が、本作では描かれることのないタリバン兵の側でも起きている現実に想いを馳せるとき、それでも(だからこそ)紛争に終止符を打てない人間の業の深さに戦慄を免れ得ない。(ライター 藤本徹)
『アウトポスト』
公式サイト:https://klockworx-v.com/outpost/
3月12日(金)より新宿バルト9ほか全国ロードショー
©OUTPOST PRODUCTIONS, INC 2020