【Road to えきゅぷろ2022】 オンライン疲れとその癒やし 2021年3月21日
今年1月末に日本に上陸し、急速に広まった音声のみのSNS「クラブハウス」。ネットを中心に話題となる最中、ミーハーな私も2月にアカウントを作って参加してみた。するとすでに、クリスチャンによる部屋が連日開かれており、キリスト教界隈でよく見かける方々を含め、ここで初めて出会った人たちが、この新しいSNSを伝道や宣教にどのように活かせるか、意見を交わしているではないか。きっと日ごろから人々に福音を届ける方法を真剣に模索し、かつ感度の高い方々なのだろう。
私も乗り遅れてはいけないと、いくつかの部屋を「聞き専」として渡り歩いてみた。するとある部屋で、思いもよらぬ発言を耳にした。「皆さん、そろそろ『クラブハウス疲れ』していませんか?」……なんと、もうそんな現象が起きているのか!? 調べてみると、確かに「クラブウハウス疲れ」という言葉が早くもネットでは噴出していた。
そもそもクラブハウスが急速に普及した背景には、オンライン飲み会での「画面疲れ」があったと言われている。人に直接会えないが故に始まったオンライン飲み会だが、現行の技術は、対面のコミュニケーションで交わされる情報や温もりを補完し切るには至らず、思いを交わし切れない歯がゆさはストレスに直結していった。ならばもっと気軽に、不特定多数の人々と音声のみで……というわけだが、私のようにコロナ前は毎晩飲み歩いていましたという人ならともかく、夜な夜なプライベートな時間を誰かに占有されれば、いくら孤独が紛れても、やはりそれもまたストレスとなり、やがて「疲れて」いってしまう。
「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」(マタイ11:28=新共同訳)。果たしてこの現代人の新しい「疲れ」を、主はどのように癒やしてくださるだろうか。
マタイの聖書箇所はこう続く。「わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛(くびき)を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる」(11:29=新共同訳)
そういえばオンラインが普及する以前から、私たちはずっと人間関係で悩み、疲れてきた。「えきゅぷろ」はさまざまな教派の人間が集まり、互いを理解しながら、共に活動することを心がけているが、まあ今年度1年間のオンライン会議でのスタッフの態度や言動は、私を筆頭にヒドいもので、代表の表情からは常に疲れがにじみ出ている(笑)。その理由は簡単だ。私たちはいつも、柔和にも謙遜にもなりきれていない。最も低い者であることを忘れ、背負い切れない軛を誰かに課して疲れさせてしまう。
このことは、オンラインでのコミュニケーションの難しさにもつながっている。対面に比べて交わせる情報が制限される分、相手に自分の言いたいことを言うのに精いっぱいで、背負い切れない軛ばかりを投げてはいないだろうか? 対面のように表情や身振り、傍にいる温もりで、軛を共に背負えるとは限らないのだ。
今年「えきゅぷろ」の仲間たちと、オンラインで1年間過ごしてみて、私が気づいたのはそういうことだった。オンラインは素晴らしい技術だ。先日開催した、セクシュアリティと教会を考えるオンラインイベントを企画したスタッフは、実はコロナ禍のさなかに合流してきたスタッフなので、対面では一度も他のスタッフと会ったことはない。にもかかわらず、このセンシティブなテーマに共に取り組むことができたのは、互いを理解したいという想いが、軛を〝負いやすい〟ものにしたからだろう。
このように対面ではこれまで人となかなか話せなかったことも、これからもっとオンラインでは話せるようになるだろう。だからこそ、限られた交わりの中でより情報を選別し、誰のために言葉を発しているかを、今一度見つめるタイミングなのだと思う。それはきっと、オンライン疲れや、さまざまな対人関係の疲れが癒やされることにもつながっていく。
「えきゅぷろ」スタッフの皆さん、業務連絡です。今年1年間、オンラインの酸いも甘いも味わった私たちだからこそできる、柔和さと謙遜さ、少しばかりの勇気、そして信仰と希望を持ちあわせた、新しいオンライン企画を始めませんか?(スタッフ・杉野希都)