「犠牲者の遺骨を蔑ろにするな」 カトリック正平協が抗議 2021年4月21日
日本カトリック正義と平和協議会会長の勝谷大治司教と担当司教のウエイン・バーント司教は4月20日、「辺野古新基地建設に、沖縄戦犠牲者の遺骨が収集されないまま眠る沖縄本島の土を使わないでください」と題する声明文を発表した。
沖縄県名護市辺野古の米軍新基地建設工事にあたり、沖縄戦犠牲者の遺骨が含まれる沖縄県南部の土を使用しないよう求めたもの。遺骨は「天に召されたその人自身を、この地上に記念させるもの」であり、遺族にとっても、遺骨を蔑ろに扱われることは、耐え難い理不尽であるとして、そのような「甚だしく非人道的な所業」がなされることは、決してあってはならないと主張。日本政府と沖縄県知事に強く訴えるとともに、カトリック信徒に対しても、この問題に関心を持ち、動向を注視するよう求めた。
全文は以下の通り。
内閣総理大臣 菅義偉様
防衛大臣 岸信夫様
沖縄県知事 玉城デニー様
カトリック信徒の皆様
声明文「辺野古新基地建設に、沖縄戦犠牲者の遺骨が収集されないまま眠る沖縄本島の土を使わないでください」
アジア・太平洋戦争末期、沖縄は「本土の捨て石」となり、激しい地上戦が行われ、20万人以上の方々が亡くなりました。沖縄にはその時の犠牲者の遺骨が2822柱、今も収集されないまま、土中に眠っています(県営平和祈念公園 戦没者遺骨収集情報センター調べ 2021年3月26日現在)。いうまでもなくそこには、日本軍兵士のみならず、米軍兵士、朝鮮人日本軍兵士、子どもを含む大勢の民間人の遺骨も含まれています。特に激戦地となった沖縄本島南部地域から数多くの遺骨が集中して発見されています。
ところが現在辺野古の米軍新基地建設を進める政府は、基地予定地の大浦湾海域に極めて軟弱な地盤が発見されたことから、埋め立て工事用の大量の土砂が必要となり、昨年4月、多くの遺骨の眠る沖縄県南部(糸満市、八重瀬町)の土を新基地建設工事に使う方針を打ち出しました。以来、沖縄県民、県内の13自治体、県議会は、遺骨の含まれる沖縄県内の土を基地建設に使わないよう求めています。
「遺骨」は、カトリックはもちろん、人の生き死にの問題に向き合う宗教にとっては切要なものです。それは、天に召されたその人自身を、この地上に記念させるものだからです。特に、沖縄での戦争で生命を失った方々にとっては、遺骨には、その国籍や立場を問わず、その方々が地上に残した無念の思い、あるいは平和への希望が宿存していることでしょう。遺族の方々にとっても、遺骨をそのように蔑ろに扱われることが、耐え難い理不尽であることを誰も否定はできません。
カトリック那覇教区ウエイン・バーント司教(日本カトリック正義と平和協議会担当司教)は、次のように訴えます。
沖縄では戦争犠牲者の遺骨を拾い集めて丁重に遺族に返す「沖縄戦遺骨収集ボランティア『ガマフヤー』」活動が行われています。信条の違いを超えて、多くの皆さんが協力しています。こうした活動は、人としての尊厳をとうとぶ人類共通の心情を表現すると同時に、(カトリックの)「肉体の聖性」の教えにも通じる大切な行いです。ところが最近、まだ多くの戦争犠牲者の遺骨が眠る場所から土砂を獲って、新しい基地をつくるための埋め立てに使おうとする計画が持ち上がっています。これは、戦争による犠牲者をさらに犠牲にして戦争に備える行為であり、遺骨にも及ぶ人間の尊厳と聖性に対するひどいさげすみです。それはまた、そのご遺族にとっても、これは耐え難いほど辛いことです。霊性ふかい沖縄の皆さんはこのような行為を決して許すことができません。
人間の尊厳をとうとぶすべての善意の人びとと手をたずさえて、カトリック教会の信条のあらわれとして、すべての人の遺体や遺骨がひとしく丁重に扱われ、その眠る場にも敬意が払われるよう努めましょう。
(カトリック那覇教区『南の光明』749号2021.4.1より)
地上戦で多くの犠牲者を出し、今もなお日米の安全保障政策のために圧倒的な犠牲を強いられ続けている沖縄において、戦争犠牲者の遺骨が基地建設のために土砂の一部として利用されるような、甚だしく非人道的な所業がさらになされることは、決してあってはなりません。日本カトリック正義と平和協議会は、日本政府と沖縄県玉城デニー知事にこのことを強く求めます。またカトリック信徒の皆様にも、この問題に強く関心を持ち、動向を注視していただきたく、ご理解とご協力をお願いいたします。