11年前のこの日、関川氏は、東京神学大学の卒業式に出席しており、学長が式辞を述べている最中に大きな揺れに見舞われた。すぐに東北の三陸沖が震源地だという情報が入り、卒業後、牧師として初めて遣わされることになっている石巻市に6メートルの津波が予想されていることを知った。現地の教会と連絡が取れたのは、地震から数日経ってからで、教会はギリギリのところで津波から免れ、教会員は全員無事だったが、多くの人が被災して避難所にいることが分かった。そのような中、予定どおり3月末に、赴任先である石巻市に自家用車で向かった。
到着して最初に案内されたのは、市内が一望できる日和山公園。そこで目の当たりにした大津波で破壊し尽くされた町と、ヘドロの匂いは今も忘れることはできないという。着任して最初の礼拝となった4月3日には、壊れた家屋や避難所から10数人の信徒たちが集まった。沈黙して静かに祈るその姿に詩篇62編2〜3節の御言葉が重なったという。そして、次のように話した。
「震災は私たちからたくさんのことを奪った。愛するものと私たちを引き裂いた、住み慣れた土地を奪った。しかし、その苦しみも悲しみも全てイエス・キリストが共に担ってくださいます。インマヌエルの主は、私たちの罪のために十字架にかかり、よみにくだリ、3日目に復活してくださり、私たちにはどうすることもできない罪と死に勝利してくださった。そこに私たちは希望を見出すのです」
また、11年前の礼拝で関川氏が「被災した人たちが1日も早く、元の生活に戻れるように」と祈った時に、求道中の人がそばに来て、「私は津波で家を流され全てを失った。震災の前にはもう戻れない。だから私たちが前に進めるように祈ってください」と言われたことを明かした。その上で、「確かに、時を戻すことはできず、震災という出来事をなかったことにはできません。しかし、だからこそ、私たちは主なる神に希望をかけて祈ることができます。祈りは、神が私たちに与えてくださった、宝であり、恵みです。そして、今、この世界は大きな不安に包まれているが、そのような時だからこそ、今生かされている私たちは、希望を見失いかけている人たちのために忍耐強く祈り続けたい」と述べた。
震災後、石巻市には、多くの教会が立ち上げられ、神に希望をかける人たちが起こされているという。関川氏は、罪と死に勝利し、よみがえられた復活のイエス・キリストが、ダイナミックにこの地に生きて働いてくださっていることを強く感じていると力を込めた。さらに、コロナ禍や、戦禍にあるウクライナ情勢にも言及し、こう締め括った。
「津波や原発で、苦悩の中にある人に祝福と慰めがあるように。コロナ禍によって苦しみの中にある人たちに主の癒やしがあるように。ウクライナの戦禍にある人たちの尊い命が守られるように。戦争を指導する人たちが悔い改めに導かれ、主の平和が訪れるように。すべてのことを主が導き、私たちが前進できますように、神に希望をかけて祈ります」
礼拝の最後には、「東北教区3・11わたしたちの祈り2022」が読み上げられた。