【教会では聞けない?ぶっちゃけQ&A】 キリスト教は絶対平和主義? 白井幸子
Q.キリスト教は絶対平和主義の立場から非暴力を貫くべきでしょうか。(40代・女性)
「剣を取る者は皆、剣で滅びる」とは、イエスの言葉です(マタイによる福音書26章52節)。「敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい」(同5章44節)という教えとも合わせ、絶対平和主義と非暴力はキリスト者の、この世を生きる基本的な姿勢となってきました。
十字架の死にいたるまで悪に刃向かわず、神のみ心に従順であったイエスは、非暴力の精神をその生涯を通して貫きました。イエスの弟子であろうとする者もまた、非暴力の精神で生きるべきと思われます。
けれども、非暴力を旗印に現実の世界を生きようとする時、そこには実に大きな困難が待ち構えています。
世の多くの人は絶対平和主義は、ユートピアにすぎないというでありましょう。確かに「野犬が襲いかかってきたらどうするのか、銃を持った強盗が押し入ってきたら……独裁国家がミサイルで攻撃してきたら……」など、これらは現実に起こり得る場面です。こうした狂気と暴力から身を守り、家族を守り、国家を守るには、それに対応できる力と武器が必要になります。
こうしてあらゆる時代のほとんどすべての民族は、このような根拠のある恐れのために、武器を持ち、軍備を装備してきました。けれども、武器を持ち、軍備を備えることによって平和が実現したことはありませんでした。
銃の所持を許す米国で日本よりはるかに多くの凶悪犯罪が発生し、平和への抑止力となるはずの核兵器の存在によって、人類は常に滅亡の危機と直面して生きています。非暴力の思想の背景には、世界の歴史を支配される生ける神への信仰があります。
暴力の恐怖に備えて自らも相互暴力の世界に進むのか、非暴力の生涯を貫いた平和の主であるキリストの歩みに従うのか。キリスト者は、人間のために命を与えてくださったキリストを信じ、その非暴力の歩みに従おうとする者です。
*本稿は既刊シリーズには未収録のQ&Aです。
しらい・さちこ 青山学院大学文学部を卒業後、フルブライト交換留学生として渡米。アンドヴァー・ニュートン神学校、エール大学神学部卒業。東京いのちの電話主事、国立療養所多磨全生園カウンセラー、東京医科大学付属病院でHIVカウンセリングに従事した後、ルーテル学院大学大学院教授を経て同大名誉教授。臨床心理士、米国UCC教会牧師。