【宗教リテラシー向上委員会】 秋を告げる新年(ローシュ・ハシャナー) 山森みか 2022年10月1日
私はかつて当欄で「春を告げる過越し祭(ペサハ)」について書いた。そこでは、春に過越し祭が来ると、冬が終わって季節が夏に移り変わると述べた。そしてその半年後に新年が来ると、夏の終わりがしみじみと実感されるのである。
多くの日本人にとって新年は、新しい年の到来と共に春を告げるものとして捉えられている。明治時代以降使われてきたグレゴリオ暦では、1月1日の元旦は厳冬期だが、旧暦の正月はもっと遅い時期であった。今なお用いられる「迎春」という新年のあいさつが、それを表している。確かに冬のあいだ枯れていた植物が芽吹き始め、命の再生を予感させるこの時期は、新たな年の到来を寿ぐのにふさわしい季節だと言えるだろう。
ユダヤ暦では、新年は秋に始まる。とはいえ聖書の記述のみからは、新年が秋に始まることはさほど自明ではない。出エジプト記12章2節によると、春のニサンの月(グレゴリオ暦では3月から4月)が1年の最初の月だとされる。その一方でレビ記23章24節では、秋のティシュレイの月(ニサンを第1の月とすると第7の月)の第1日を角笛の響きによって記念し、聖なる集会を開くよう求めている。またミシュナ(ユダヤ教の口伝律法集成)では、春秋の二つ以外にも、夏の終わりのエルールの月(十分の一税として献げられる動物の新年)、冬のシュバットの月(木の新年)が定められており、これらは合わせてユダヤ教の四つの新年と呼ばれている。
最終的に現在のユダヤ教では、春ではなく秋に新年を祝うことになったわけだが、命の再生の予感という意味では、イスラエルの場合秋こそがそれにふさわしい季節だと言えるかもしれない。イスラエルの季節は、大まかに言って長くて暑い夏と、短い冬に分けられる。暑い夏の間、雨はほぼ降らない。地面は乾ききって、潅がい設備がある場所以外では、植物の緑は見られなくなる。日本の夏のように、何もしなくても青々とした雑草が生い茂るということはない。夏が終わって10月ごろになると、まず最初の強い雨が降る。その後は1、2週間おきぐらいに雨が降り、苛酷な夏の暑さに乾ききっていた地面から緑の芽が出始める。植物が一斉に芽を出す様子を見ると、地面が生き返ったようである。これからはしのぎやすい気候となり、聖書で「野のゆり」と訳されてきたさまざまな野生の花が咲いていくだろう。
ユダヤ教の重要な祭日は春と秋に集中している。秋の新年の後には大贖罪日(ヨム・キプール)、それから仮庵の祭(スコット)、律法感謝祭(シムハット・トーラー)が来る。新年から大贖罪日までは、1年の自分の行為を反省し、悔い改める期間で、厳粛な雰囲気が漂う。仮庵の祭では、荒野放浪時代を思い出すため、簡素な半野外の小屋を作って、そこで過ごす。春の過越し祭の食卓では酵母の入ったパンを食べないことで出エジプトの出来事を想起したが、秋の仮庵の祭では小屋の中で荒野放浪を追体験し、日常の定住生活を相対化するのだった。
2022年(ユダヤ歴5783年)のユダヤ新年は、9月25日の日没から始まった。この1年はどんな年になるのだろうか。
山森みか(テルアビブ大学東アジア学科講師)
やまもり・みか 大阪府生まれ。国際基督教大学大学院比較文化研究科博士後期課程修了。博士(学術)。1995年より現職。著書に『「乳と蜜の流れる地」から――非日常の国イスラエルの日常生活』など。昨今のイスラエル社会の急速な変化に驚く日々。