【夕暮れに、なお光あり】 まっすぐに 川﨑正明 2022年10月1日
私の中学校時代を思い出している。戦後の1947(昭和22)年に新制中学として発足した滝野中学校は、兵庫県加東郡滝野町(現加東市下滝野)にあった。この学校は兵庫県の中央を流れる加古川と背後にある五つの峰を持つ五峰山(ごぶさん)に挟まれていた。また校庭の隅に2本のポプラがあった。私たちは「五峰山の如き高き理想と大きな心、加古川の流れの如き清き心、高い2本のポプラの如きまっすぐな心」というモットーを掲げて学校生活を送った。もう73年も前の少年時代のことだが、ポプラの木の風景が印象に残っている。ポプラは、紅葉や美しい樹形が特徴的で並木や街路樹などとしてよく見かけるが、私はそのまっすぐな樹形が好きで、いつもこころの風景として浮かんでくる。
キリスト者詩人の八木重吉が、木に思いを寄せた作品がある。「きりすと(……)を おもいたい/いっぽんの木のようにおもいたい/ながれのようにおもいたい」「白い 路/まっすぐな 杉/わたしが のぼる/いつまでも のぼりたいなあ」(普及版定本『八木重吉詩集』より)。「まっすぐにおもう」「まっすぐにのぼる」という表現は、重吉自身のひとすじにキリストを信じる純真な神への信仰を詠っているのだと思う。その平易で短く、純粋無垢、単純、素朴な多くの詩は、その根底にあるまっすぐなキリスト教信仰を表現している。
私が「まっすぐ」という言葉にこだわる理由がある。2度の骨折による後遺症によって、だんだん身体が歪んできているからだ。乗っていたバイクの自損事故による右骨盤骨折(1999年)、段差に躓いて右大腿骨骨幹部骨折(2013年)によって身体障がい者(5級)になり、特殊な杖による歩行を余儀なくされており、右脚をかばうので身体全体が左側に傾いてきている。情けないことだが、そこは前向きに「ステッキな人生」を歩いているなどと言っている。が、できればまっすぐな姿勢で歩きたい。
しかし大事なことは、目に見える外形のことではなく、「内なるまっすぐな姿勢」であろう。遠い昔の母校の中学校の校庭にあったまっすぐなポプラの木、まっすぐに伸びる木々に託してキリストへの信仰を詠った八木重吉の詩が、私のこころに響いている。残されたあと少しの老いの坂道、傾きながらのぎこちない恰好だが、こころはまっすぐに神様に向けて歩き続けたいと思う。
「まっすぐ歩む人は主を畏れる。/曲がった道を歩む者は主を侮る」(箴言14章2節)
かわさき・まさあき 1937年兵庫県生まれ。関西学院大学神学部卒業、同大学院修士課程修了。日本基督教団芦屋山手教会、姫路五軒邸教会牧師、西脇みぎわ教会牧師代務者、関西学院中学部宗教主事、聖和大学非常勤講師、学校法人武庫川幼稚園園長、芦屋市人権教育推進協議会役員を歴任。現在、公益社団法人「好善社」理事、「塔和子の会」代表、国立ハンセン病療養所内の単立秋津教会協力牧師。編著書に『旧約聖書を読もう』『いい人生、いい出会い』『ステッキな人生』(日本キリスト教団出版局)、『かかわらなければ路傍の人~塔和子の詩の世界』『人生の並木道~ハンセン病療養所の手紙』、塔和子詩選集『希望よあなたに』(編集工房ノア)など。