賀川ハルとともに生きた3年 小説『春いちばん』著者 玉岡かおるさんインタビュー 2022年12月25日
キリスト新聞社を創業した賀川豊彦は、「生協の生みの親」「貧民街の聖者」として知られるが、昨今ではSDGsの理念を先駆的に広めた人物として再注目されている。一方、ともにさまざまな社会事業に貢献した妻・ハルがスポットを浴びることは極めて少ない。そんな賀川ハルを主人公とした小説『春いちばん 賀川豊彦の妻ハルのはるかな旅路』が、2019年4月から3年にわたる雑誌『家の光』での連載を経て今年10月に家の光協会より単行本化された。著者の玉岡かおるさんに、ハルとともに歩んだ3年間を振り返っていただいた。
――連載が始まるまでの経緯を教えてください。
玉岡 私は兵庫県在住で、神戸のプロテスタント系大学に通っていましたし、賀川豊彦が創設に尽力した、コープこうべの研修施設も実家の近くにあったので、賀川のことはもちろん知っていました。その妻のハルさんを主人公に書いてほしいという依頼を家の光協会からいただいた時、それまで歴史に埋もれた女性たちに焦点を当てる作品を書いてきた経緯もありますので、やはり私が書かねばという使命感を持ちました。
ただ、資料をいただいて自分でも調べていくと、あまりにも聖人君子で、どれを読んでも完全無欠なんです。賀川豊彦のような「偉人」の伴侶になろうと思った人ですから、当然そうならざるを得ないのでしょうが、いくつかの評伝を読んでも近寄りがたくて、仮に同じクラスにいても友だちにはなれないタイプでした(笑)。私に書けるだろうかとかなり悩んだのですが、だからこそ彼女なりに悩みやつまずきがあったのではないかというところから、「人間ハル」を描きたいなと思い至って、「やらせていただきます」とお引き受けした次第です。
小説だから表現できたハルの〝人間くささ〟
輝かしい偉業に隠れた陰にも光を
■若かりし日の2人に焦点
――物語は第二次世界大戦の前で終わっています。
玉岡 当初から単行本化を念頭に、3年ぐらいの連載ということで構想を書いてみたのですが、「これだと5年はかかります」と言われてしまって……。そこで、最初から戦後については端折るという方法で、戦前までの「ヤング賀川」と「ヤングハル」を描こうとスタートしました。やはり有名になるまでは情熱が違いますし、偉くなってからのことはさまざまな資料や書籍にも残されているので、そちらに委ねようということで、今となっては知る人のいない若かりし日の2人を書こうと思って執筆を始めました。
――『家の光』誌の読者にとって賀川ハルの知名度は?
玉岡 「豊彦は知っていてもハルは知らなかった」「教えてくれてありがとう」というお手紙やメールは、たくさんいただきました。やっぱり強烈な光を放つ人のそばにいると、陰になってしまうんですよね。
――小説化に際して、史実はどのぐらい意識されましたか?
玉岡 すでに評伝(岩田三枝子『評伝 賀川ハル――賀川豊彦とともに、人々とともに』)も出されているので、ほぼ史実に基づいて書きましたが、評伝ではさらっと書き流されているけれども、小説家としては矛盾を感じる点も多々あるわけです。
勉強が好きで向学心があったのに女学校を途中でやめてしまったり、親が転勤するからといって急に神戸までついてくるとか、ぶれまくっているんですよ。結婚後ほどなくして豊彦がアメリカに留学する時だって、ハルは何事もなかったかのように日本に残って勉強に励んだと認識されているんですが、「そんなの嫌に決まってる! 女の気持ちを考えてよ!」というのが私の言い分です。
評伝や研究書では省かれた「行間」にこそ人間くささがあると思って、その部分を掘り下げました。するとハルが身近に見えてきて、次第にクラスにいたら声をかけてあげようかなというぐらいの存在になってきたんですね。反対に多くの賀川研究者や賀川ファンからすると、こんなに人間くさく描かれてしまうことには抵抗があるかもしれないという不安もありました。
――豊彦もだいぶイメージが先行している部分があると。
玉岡 そう思います。どの評論にも女性蔑視的だったなんていう表現は一切ありませんが、「いやいやハルさんにめちゃくちゃしとるやん!」と言いたくなっちゃう。私の作品は女性読者が多いので、「やっぱりこんな旦那さんは困るよね(笑)」という共感も得られたと思います。いくら偉くても、本の印税や講演で得た大金を全部貧しい人たちに渡してしまうなど、お金の苦労ばかりかけていたわけで。ハルさんのような素朴な性格だから、かろうじて関係が成り立っていた。豊彦に愛されていながら別れた女性の話も出てきますが、ハルは気が気じゃなかったと思いますね。ただでさえ豊彦は相当モテていたでしょうから。
ハルは、光のあるところで影になってしまう人です。豊彦と親交のあった与謝野晶子の関係からも資料を取り寄せたのですが、1行もハルのことが書かれていないんですよ。当時、豊彦のことを好きだった人たちは、もっとすごい人と結婚してほしかったという願望もあったと思うんですよね。ハルが取り組んだ婦人解放運動の先駆者たちも描きましたが、平塚らいてうばかりが輝く中で、市川房江もハルのように陰に回るタイプの人だった。そういう2人の結びつきのシーンも大切に書きました。
――ハルの伯父である村岡平吉が、翻訳家・村岡花子の義父だったという関係性は意外でした。
玉岡 私も驚きで、朝ドラで「花子とアン」が放映された当時、神戸の賀川記念館で関連する展示が開催されていたのを拝見し、「花子とアン」の原案となった本を書かれた村岡恵理さんにもお会いできました。平吉について、背中一面に入れ墨を彫っていたことなども書いていいかと尋ねたところ、「本人が書いているからいいでしょう」と許可してくださいました。やはり評伝には書かれない部分を小説に書けたのはよかったと思います。
――内なる心の声として架空のキャラクター「ナツ」が登場します。
玉岡 あれは奥の手でした(笑)。豊彦のような偉い人のそばで、耐えてばかりではやっていられないという思いだったので、「ナツ」にはバンバン本音を語らせようと工夫しました。「豊さんに言ってやりなよ!」という言葉には、だいぶ私の本音が入っています(笑)。ハルは10代のころから家のために朝から晩まで働いて、私だったら非行に走っていたと思うんですが、彼女はよくがんばったなと思います。
――まさに、ノンフィクションではできない小説ならではの表現ですね。ご自身がお薦めしたいシーンはありますか?
玉岡 かつて神戸を舞台に書いた作品があって、その人物が作中に再登場するという読者サービスもしています。また別の作品に描いた近江八幡で伝道師、建築家として活躍したヴォーリズや、豊彦が労働争議をやった時の川崎造船所の社長も登場します。さまざまな登場人物が神戸に集結して、資本主義と協同組合の理念が直接ぶつかり合うシーンをぜひ堪能してください。
■歴史を学ぶ必要性
――今、この時代にこそ読んでほしい、届けたいというメッセージを感じました。
玉岡 連載1年目、SDGsに注目が集まっていましたが、そんなことは賀川がとっくに言っていたじゃないかと思いました。特に震災のことでいえば、私も阪神・淡路大震災を体験し、全国から駆けつけたボランティアからのお見舞いをありがたいと思ったことを覚えています。
関東大震災で豊彦が、自分の体がボロボロなのに現代の価値で約1700万円の義援金を集めて、被災地へ駆けつけたという記録があります。当時の豊彦の存在は、今でいう「キムタク(木村拓哉)」だなと思いました。それぐらいアイドル的な人気を博した社会活動家だった。彼は自分の号令で集めたお金を東京に持っていってそのまま帰らなかったので、神戸の人々の記憶には薄れてしまったかもしれませんが、本当は神戸の恩人なのにという忸怩(じくじ)たる思いがあります。
かつて神戸市に招かれた講演会で、「賀川のことを書いています。日本最大級のスラムがあった神戸で救貧活動をしていた人です」という話をしたら、関係者から「神戸はきれいな街で売っているのに、そんな汚かった時代のことを話されても困る」と難色を示されたので受けて立ち、再登壇して「歴史には光と影がある。影を忘れて『ファッション都市』だの『スイーツ神戸』だの、うわべの光だけ追うのは軽すぎ」と言ったら、会場からは拍手喝采をいただきました。
神戸で賀川をもう一度顕彰し直すような動きになってほしいのですが、多くの人が忘れています。震災後の都市計画も、賀川が人間優先だとあれほど言っていたのに……。歴史を忘れるから歴史から学べない。これからもどこで災害があるか分からない。今の時代だからこそ、「人間ファースト」の街づくりという賀川の志をもう一度学び直してほしいと思います。
■読書ならではの楽しみを
――本がなかなか売れない時代に、小説を書くという仕事は厳しい側面もあると思います。
玉岡 そうですね。私がデビューしたころは、初版で何万部も刷っていましたが、今ではあり得ません。今、大学で文芸を教えていますが、学生たちは本格小説を読まないですね。パソコンを持っていない学生もいるので、スマホでライトノベルとかゲームの原作小説を読むくらい。読書の形が変わっていくのを痛感しています。若者は仕方がないとしても、私たちのように活字で育ち、活字にお世話になった世代が本を読まないのは残念です。ドラマ化、映画化もいいですが、本当はじっくり何日もかけて本を読み、気に入ったところには付箋を立てて、繰り返し振り返りながら何日も楽しめるという、読書の楽しさを知っていただきたいと思います。
時代錯誤なことを言っているのは重々承知なんですが、でもやはりそういう中で感情を揺さぶられ、見知らぬ世界を体験して感動したという世代から見たら、豊彦やハルのような偉大な先人が、ただ偉いのではなく、私たちと同じように悩んだりあがいたり、病気になって痛い思いをしながらはい上がる。自分だけでなく、こんな人でも苦労しているんだと追体験できるのは読書ならではだと思うので、ぜひ手に取っていただきたいと思います。
――次回作の構想は?
玉岡 次は時代物に取り掛かっています。私の年齢を考えると、女性に焦点を当てる作品はおそらくハルが最後になりそうです。ハルと一緒に生きたといえるぐらい『春いちばん』には魂を込めました。これからは少し余裕をもって、実在の人物に縛られず楽しみながら作家余生を過ごしたいと思います。
――ありがとうございました。
*インタビュー全文は紙面で。
玉岡かおる
たまおか・かおる 兵庫県生まれ。1989年に『夢食い魚のブルー・グッドバイ』(新潮社)で文壇デビュー。舞台・テレビ化された『お家さん』(新潮社)で第25回織田作之助賞を、『帆神 北前船を馳せた男・工楽松右衛門』で第41回新田次郎文学賞を受賞するなど、歴史小説に定評がある。大阪芸術大学教授。大阪市博物館機構理事。