追悼特集 徳善義和(ルーテル学院大学名誉教授)インタビュー 混乱と破れのただ中で 【シリーズ・日本の説教者】
雑誌「Ministry」の連載「シリーズ・日本の説教者」で2009年夏号にご登場いただいた徳善義和さんが、今年1月3日に亡くなった。故人を偲んでインタビューの抜粋を掲載する。
今年(2009年)3月、非常勤講師を含め実に51年間にわたり教鞭をとってきたルーテル学院をあとにした。神学生時代から、その神学者、説教者としての歩みは常にルターと共にあった。徳善にとってルターは、研究の対象であり、同労者であり、そして対話の相手でもある。学院主催の「感謝の集い」に同席した登世子夫人は、「最近ますます〝同化〟が進んでいる」と証言した。ルーテル教会を代表する1人の説教者がたどり着いたルター神学の真髄と、その説教に込められた奥義について、かつての職場であった「ルター研究所」で話を聞いた。
牧師の仕事は「楽しい」
神学校在学時に習った実践神学について、「文字どおり『実践』ばかりだった」と振り返る。ビラの配り方、礼拝での十字の切り方、どのタイミングで聖壇を向くか、会衆に向くか――。徳善に言わせれば、「そんなものは神学に値しない」
「なぜ神学教育の中に、実践神学がしっかり位置づけられていないのか不思議だった」という徳善は、神学校で教われないなら独学で勉強するしかないと考え、E・トゥルンアイゼン(1888~1974年、スイスの実践神学者)の『牧会学』などを読んだ。
卒業後3年間、牧会に従事。28歳でハンブルク大学に留学した際には、さらに実践神学への認識を深めさせられる。きっかけは、毎学期必修だった宣教学の講義とゼミ。
「当初は憤慨しました。ルターの勉強をしに来たのに、関心もない宣教学の講義など取れないと……。しかし、宣教とは何かということを考える『宣教の神学』が、神学的にとても面白かった。『これこそ実践神学だ』と思いました」
帰国後、神学校では、1回だけだが説教学まで教えることになった。
もともと神学校の教師になるつもりはなかった。「牧師になりたくて神学校に入ったので、現場に出させてほしい」と後々まで抵抗した。「僕はとても教会の仕事が好きなんです。説教も好き。高倉徳太郎(1885~1934年、日本の神学者)の日記などを読むと、説教で苦しんでいる様子が書かれていますが、信じられません。説教ってこんなに楽しいのに……」
根っからの「説教者」なのだ。
多芸のルーツは土木工学
神学校ではさまざまな科目を担当した。ルターを中心とした歴史神学が中心だったが、ドイツ語初級文法、ラテン語、ルーテル教会の信条学、説教学――。そのルーツは東京大学工学部にあるという。徳善が在籍したのは工学部の中でも、冶金学科とともに「つぶしが利く」と言われていた土木工学科。土木は物理学が基本だが、上下水道を最終専攻としたので、化学、生物学、疫学、ひいては医学に至るまで、専門分野が多岐にわたる。まさにインターディシプリン(学際的)。当時の学びを通して、「何でもやる」という手法が身についた。
さらに、その守備範囲は学問にとどまらない。幼稚園の経営、経理、事務、書道、パソコン。最近ではコラールを織り込んだ聖歌隊合唱曲の作詞まで手がけた。実に多芸多才。しかも、それぞれに職人的こだわりがある。たとえば教会建築。
「私が建築委員長をしていた教会の設計図で、厨房が大きいのを見て、『フランス料理のフルコースでも作るのか』と揶揄されたことがありました。しかし、どんな場合でも、厨房の面積は食べるスペースの3分の1以上必要なんです。小さなラーメン屋でもそう。まして広い集会室を持った教会ならなおさらです。教会のご婦人は、本当に楽しんで料理を作る。ただ、ものを作って食べさせるというのとは違います」
そもそも何のために教会に厨房を作るのか。徳善にとっては土木から説教に至るまで、人間の営みすべてが実践神学の領域なのかもしれない。
ルター直伝の実践神学
さかのぼれば、ルターも幅の広さにかけては類を見ない。遺された卓上語録や書簡には、神学以外にもありとあらゆるジャンルについての言及が見られる。
ボウリングもその一つ。中世ドイツで9本の木のピンを四角に並べて、木のボールを使って倒す遊びが、一般民衆から修道院に流入し、ピンを天災や苦難に見立てた占いとして使われていた。修道院でのこの疑似宗教的な占いを普通の遊びにしたのがルターだ。
「宗教改革のあと、おそらく誰かが物置から見つけたんでしょう。それで、学生たちに『遊びたまえ』と言って遊ばせた。カルヴァンだったら遊ばなかったでしょうね(笑)」
卓上語録にはこんな記述がある。
「世の中には、ほら吹きがごまんといる。『俺が投げれば、ひと投げで12ピンだ』という輩である」
虚勢を張ることを戒め、物事をありのままに捉えるべきとする、ルターならではの訓辞である。
「結局、僕はルターを通して、教会の各分野における実践の神学的基礎がどこにあるかを学ぶようになりました。教会で起こるさまざまな事柄について神学的発言ができないといけないと思うようになったのも、ルターを学んだからこそです」
ルーテル教会の説教
徳善の説教原稿は、神学生時代からルーズリーフのメモ1枚。若いころから「神様に訓練された」のだという。「お前はいずれ目が悪くなる。だから、原稿が見えなくても説教できるような備えをしなさい」と……。このメモをもとに頭の中で何度も反芻し、説教に臨む。今や老眼鏡をかけても、説教卓のメモは見えなくなった。逆に、原稿を作って説教するように頼まれると困ってしまう。
ルーテル教会の説教を特徴づける要素をいくつか挙げてもらった。教会暦、主日ごとの聖書日課、教会員の教会生活、世の中の出来事、牧師自身の脈絡――。そういう多層な可能性のコンテキストがある中で、どこかを選んで語る。説教は、人的な出来事や世の流れと無関係ではあり得ない。目の前にいる会衆が、説教を形作る一つのファクターになる。
徳善にとって忘れられない説教がある。1961年8月13日、ベルリンに壁ができた翌朝、ハンブルクの教会で聞いた説教。その日、家族で教会へ向かう道すがら、街はただならぬ気配に包まれていた。牧師は開口一番、「私たちの民族の歴史の中でとても痛ましいことが昨日の夜から今朝にかけて起こった。私たちは、できてしまった壁の向こうにいる人々のために、そしてこちらにいる我々1人ひとりのためにも祈らなければならない」と語り、説教を始めた。
「そういう大事なことが起きたときに、ひとことも触れない説教者もいます。でも、少なくとも僕は、何事もなかったかのように話すことができる説教者ではない。やはりそれを語らずにはいられません」
広い意味でのエンターテインメント
そしてもう一つ、説教に必要な要素として挙げたのが、「広い意味でのエンターテインメント」。今日は聞いて面白かった、勉強になったという要素。神学校を卒業した当初から「先生の説教は難しい」と言われていた徳善は、説教でさまざまな趣向をこらすようになった。コラールの演奏を聞かせたり、バルトが『教会教義学』で取り上げたというイーゼンハイムの祭壇画の話をしたり、マルコ福音書の冒頭について説教する時には、あらかじめ自ら「初」と「始」と墨書したものを見せて「福音の初め」について解説したりといった具合だ。
無論、笑いがあっていい。しかし、笑いすぎてもいけない。「単なるエンターテインメントであってはいけない」とも言う。かつて熱心な教会員から、「説教を聞いて泣きたい」と請われたことがある。
「聴衆を泣かせるのは赤子の手をひねるより簡単です。どうしたら泣かせることができるかを考え、材料を探して組み立てて、声の調子でも変えればすぐできる。でも、それは堕落でしょ? 説教の目的はそうではない。だから、私の説教は、『泣かない説教』なんです」
徳善の説教をひと言で表すなら、「自由」だ。説教の語り口も、普段の会話とまったく変わらず自由。今回、竹の塚ルーテル教会で収録した説教(「Ministry」誌 第2号 付録DVD参照)でも、そもそもニコデモが一生この出来事を考えていたから福音書に記されたに違いないという想像は、聖書のテキストにはない自由な発想。自分がニコデモだったら――。説教作りの際には、登場人物の1人になってみる。
「たとえば盲人バルティマイの物語の場合、僕は秘書タイプの人間ですから、先を急がせたでしょう。『イエス様、こんなところで油を売っている暇はないんです。今日の道程は8里と決まっているんですから。エリコの街を出た途端にこれじゃ困りますよ。昼食の予定も狂うじゃないですか』と(笑)」
神学的な「ぶれ」をなくす
「仕事は忙しい人に頼め」というのが徳善の持論。多才なだけに、さまざまな役職もかけ持ちし、自身もとかく忙しい生活を送ってきた。引退後も、午前中にルターのヨハネ福音書連続講解説教の翻訳をし、午後は『説教黙想 アレテイア』誌の依頼原稿を書くといった日々。忙しさを乗り切るコツについて聞いてみた。答えは意外にもシンプルで、「切り替え」だという。
「『よく切り替えられますね』と言われます。コマ単位で動かなければならない教師生活が長かったことも少なからず影響しているかもしれません。でも、慌ただしいからこそ、自分の神学的な首尾一貫性を持っていないと、単に小手先だけで知識の切り売りをすることになる。どこかで、自分の神学的実存を貫こうと無意識のうちに努めてきたような気がします。むしろ、仕事が次々に変わらないとこなせないという生き方をしてきました」
説教者としての神学的なスタンスの「ぶれ」をなくすために、どんな努力をしているのか。神学生には、H・G・ペールマン(1933~2022年、ドイツ・オスナブリュック大学名誉教授)の『現代教義学総説』を勧めている。「学んできたことを教義学的に復習して整理するための本です。これを読んで分かるようになったら卒業していいという目安にしなさい、と言っています。常にそうしたことを意識していないと、『ぶれ』が起きる。説教でも、信仰によって義とされるというルターの理解に沿った説教をした次の説教では、『やっぱり行いが大事だ』という説教をしてはいけない。仮にそういう説教をするとしても、筋を通して語る必要があります」
*全文は同シリーズを単行本化した『聖書を伝える極意 説教はこうして語られる』(キリスト新聞社)に収録。
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とくぜん・よしかず 1932年東京生まれ。東京大学工学部卒業、立教大学大学院修士課程修了、日本ルーテル神学校卒業、ハンブルク・ハイデルベルク両大学神学部留学。神学博士。専攻は歴史神学(宗教改革)。日本ルーテル神学校教授、校長、同ルター研究所所長、神戸ルーテル神学校客員教授、日本キリスト教協議会(NCC)議長、日本エキュメニカル協会理事長などを歴任。著書に『ルター』(平凡社)、『自由と愛に生きる──『キリスト者の自由』全訳と吟味』、『マルチン・ルター──生涯と信仰』(教文館)のほか、『ローマ書講義』上下、『ガラテヤ大講解』上下(いずれも『ルター著作集』聖文舎所収)など翻訳多数。
【Ministry】 特集「青年をどうする? いま、ここにある青年伝道」/対談「牧師カルヴァンの実像」エルシー・マッキー×出村 彰 2号(2009年6月)
聞き手=平野克己、荒瀬牧彦/写真=山名敏郎