【地方からの挑戦~コレカラの信徒への手紙】 地方からの良き知らせ 門田 純 2023年2月1日
ニホン中にある教会のみなさん、そしてコレカラの信徒のみなさんへ。ニホンのはずれにある長崎の教会からカドタがあいさつをします。
あなたがどこにいても主の平安と祝福がありますように。あなたをとおして教会に新しい風が吹き込まれ、あなたが主にあって喜びにあふれることを私は神に祈っています。
私は地方に来て分かったことがあります。地方にはたくさんの可能性が秘められているのです。これからあなたに伝えたいのは「地方からの良き知らせ」です。
聞くところによると、あなたがたの間で「地方に遣わされた牧師は不幸だ」と言っている人がいるというではありませんか。地方にある教会は本当に不利なのでしょうか。地方には可能性が残されていないというのでしょうか。断じてそんなことはありません。
確かに、厳しい現実はあります。若者の多くは県外へ流出してしまいます。手塩にかけて育てた子どもたちが大学生や社会人になると、都会のコンクリートジャングルに吸い込まれていってしまう……。そんな歯がゆさを覚えている地方の教会は多いでしょう。地方には仕事も少なく給与水準も高いとはいえません。子どもたちの幸せを願えばこそ、都市部に送り出さざるを得ない家庭もある。そんな中で教会に若い世代が一人でもいるなんて奇跡のようなことです。
また、地方では保守的な考え方がいまだに根強いのも事実です。いまだに旧態依然とした規則やマッチョな体質に疑いさえ抱かない学校やブラックな企業もたくさんあります。そんな文化の中で、教会が今までやったことのないことに挑戦するのは難しいこともあるでしょう。都市部の神学校を卒業してやってきた若い牧師が新しいことを始めようとして、信徒たちの反発を招き、やがて疲弊して辞めていく例をいくつも耳にします。こうした現実の中で、牧師たちが「やっぱり地方は難しい」と肩を落とす気持ちも分からなくもありません。
しかし、考えてみてほしい。都市部の教会はすべからく教勢を伸ばしているだろうか。そうではありません。都市部の教会がどこも若者であふれているだろうか。そんなこともありません。都市部の教会が伝統の本質を理解し、自由でのびのびとした発想で新しい形に挑戦しようとしているだろうか。もしそうだとしたら、ニホンのキリスト教界は今とはまったく異なる風景になっているはずです。首都圏にもほとんど高齢者しかおらず、閉鎖的で新しいことに何も挑戦せず、過去の栄光にすがって衰退していくだけの教会があるのです。
では、地方の教会が都市部に比べて有利な点はないのか。実は、山ほどあるのです。地方には都市が失ってしまった多くのものがあります。無意味に長い渋滞に巻き込まれることなく、自然の中に出かけることができます。新鮮な食材が手に入ります。仲良くなった人から、もらえることだってあります。顔の見える付き合いができます。温かいつながりを醸成しやすい。そして、のんびりとした時間の中で神と語りあい、人とつながる人間らしい生活の可能性が残されています。これは教会共同体の形成と宣教の可能性に大きく影響します。
わたくしパウr…じゃなかったカドタが、地方の教会に派遣された牧師として「地方における宣教の可能性」を具体的にこれから書いていきます。私の遣わされている教会も若者が多いわけではありませんが、先日、会堂に入りきれないくらいの若者がやってきました。いったい、何が起きたのでしょう。次回、そのことからお話しいたしましょう。
かどた・じゅん 1983年神奈川県生まれ。上智大学経済学部卒業、社会福祉法人カリヨン子どもセンター勤務を経て日本ナザレン神学校へ。現在、日本ナザレン教団 長崎教会牧師(7年目)。趣味は愛犬とお散歩、夫婦と犬2匹猫1匹で全国を旅するのが夢。