【教会では聞けない?ぶっちゃけQ&A】 不妊もみ心とあきらめる? 村上純子
Q.不妊治療を続けているのですが、どうしても子どもが与えられません。神様のみ心と考えてあきらめるべきでしょうか。(30代・女性)
不妊治療は、経済的にも精神的にもとても負担の大きなものです。うまくいった時には、「それだけの犠牲を払っても、やってよかった」と思えるものですが、うまくいかない時にはどんどん気持ちが追いつめられてきます。
そのような中で、不妊治療をいつやめるかというのは、治療を始めるのと同様、あるいはそれ以上に大きな決断ですよね。「次はもしかしたらうまく行くかもしれない。今やめたら後悔するのではないか」。そのような思いから、なかなかやめる決心がつかないものです。
私の知るご夫婦で、不妊治療をやめられて養子をもらった方や、子どものいない生き方を積極的に受けとめたご夫婦もいらっしゃいます。でも「もし続けていたら……」といまだに後悔し続けている方もいらっしゃいます。その違いは、納得のいく形で治療をやめたかどうかのような気がします。
あなたは、ご自身の中にあきらめきれない思いがあるからこの質問をされたのでしょうか? だとしたら、やめるのはまだ少し早いのかもしれません。もっと神様にご自身の思いをぶつけてみてはいかがでしょうか? ご自身が今持っている思いや願い、神様に対する恨み言や怒り、疑問、そのようなものを洗いざらいぶちまけてはどうでしょうか? もちろん、経済的な限界や精神的な限界も考えなければならないでしょう。
その結果、ご自身の中で「もうここまででいい」と納得がいったら、その時が不妊治療をやめる時だと思います。納得がいっていないのに「神様のみ心だからあきらめよう」と自分に言い聞かせることはしないでいただきたいのです。
「神様のみ心」とは、水戸黄門の印籠みたいなものではありません。それは「神様が人間の意思に関係なく下す、有無を言わせない最終決定」ではないのです。あなたが本当に神様のみ心だと確信した時には、「これでいい」という平安があり、妊娠、出産ということはなくても、ご自分で納得いく生き方ができると思います。
むらかみ・じゅんこ 慶応義塾大学文学部人間関係学科心理学専攻卒業。アメリカ・ホイートン大学大学院臨床心理学科修士課程、聖学院大学アメリカ・ヨーロッパ文化学科博士課程修了(学術博士)。中学校、高校のスクールカウンセラーを経て、現在、聖学院大学心理福祉学部心理福祉学科教授。公認心理師・臨床心理士。カウンセリングオフィスお茶の水にて心理相談も行う。