【地方からの挑戦~コレカラの信徒への手紙】 大麦の刈り入れが始まったころ 古川和男 2023年5月1日
四国にある池戸(いけのべ)キリスト教会より、コレカラの教会のあなたへ。主の平和がありますように。
昨年4月に当教会に赴任、アパートから教会堂まで通う生活が始まりました。ひと月ほどしたころ、道沿いの景色が、緑から黄に色づいていくことに気づきました。それは小麦の畑です。
そう、香川は面積も降水量も少なく、小麦と米の二毛作が伝統。その小麦から「讃岐うどん」の食文化が生まれ、いまや香川と言えば「うどん県」。その原風景を見ていたのです。一面の麦畑が金色に変容し、上には讃岐平野の広い五月晴れが広がる! その美しいこと、美しいこと!!
すっかり魅了されたぼくの脳裏には「ルツ記」が浮かびました。初夏に小麦の刈り入れを祝う「七週の祭り」(五旬節・ペンテコステ)」には、ルツ記が朗読されるのが、ユダヤの伝統です。ルツ記を読みたい! たまらなくなったぼくは急きょ、近づくペンテコステ礼拝まで、ルツ記の1章説教を組み込ませてもらったのです。
「ルツ記」は、大麦と小麦の収穫風景に重ねた、ナオミとルツの義母娘の物語。それは、収穫を祝わせ、落ち穂拾いの景色に和ませるだけではありません。飢きんという自然災害。最善と信じた人生の選択が失意に終わること。不妊、死別、貧困、そして新たな選択……。また、女性の生きづらさ、我が子とのすれ違い、在留外国人への「よそもの」意識なども浮かび上がらせます。この世界で生きる、ありふれた理不尽が胸を刺します。
そこで、外国人ルツがすがった「落ち穂拾い」は、イスラエルの神、主の思いやりの規定です。慈悲深い主のご配慮が、社会的弱者への配慮を律法の中に命じていました。表だって神が行動することのほぼないルツ記でも、偶然が重なる展開に摂理的な導きが優しく匂います。麦のパンを備えさせたもう主は、この世界の悲しみある生活にも、隠れて働いています。寡婦たちを慰め、外国人女性の誠実をたたえさせ、寒村に祝辞を歌い上げさせます(そもそも、七週の祭り自体、主がこの壊れた世界を諦めない恵みの想起です)。
それはバラ色のハッピーエンドとは違うでしょう。ナオミはルツの子を抱きながら、我が子マフロンを思わなかったでしょうか。オベデからひ孫ダビデまで、「モアブの血」と陰口を叩かれなかったでしょうか。ルツ記最後で、ひとことも語らず、血の繋がらない孫を抱く寡黙なナオミに、どんな心情があったでしょうか……。
麦畑広がる三木町で、この町にたった一つの小さな教会に数十人が集まって、礼拝と交わりを続けています。ルツ記を読ませてくださった主は、ここにたくましく生きる一人ひとりのドラマに目を留め、今もここに黙々と働いている。そう思わせてくれました。この教会でぼくは毎週、み言葉を物語り、それぞれの生活に派遣しています。その時の言葉を、コレカラの教会のあなたにも送ります。
「安心して行きなさい。主を愛し、主に仕えなさい。互いに愛し合い、互いに仕え合いなさい。主イエス・キリストの恵み、父なる神の愛、聖霊の交わりが、あなたがたとともにありますように」
古川和男
こがわ・かずお 1968年秋田県生まれ、北九州市と新潟市で育ち。東京基督教短期大学修了(4年課程)。伊達福音教会(北海道)、東吾野キリスト教会(埼玉)、パース日本語教会(オーストラリア、短期)、鳴門キリスト教会牧師を経て、現在、日本長老教会池戸キリスト教会牧師。趣味は、ジョギング、ジャム作り、橋ウォッチング。共訳書に『ウェストミンスター小教理問答で学ぶ よくわかる教理と信仰生活』(いのちのことば社)など。