【地方からの挑戦~コレカラの信徒への手紙】 何もないように見えて、実は何でもある! 広瀬香織 2023年8月1日
東京育ち、東京生まれの私は、遊び場が渋谷だった。スクランブル交差点、109、東急ハンズ、行き交う人々の流れが好きだった。ある日、渋谷の駅前で聖書を配っている団体があり、1冊の聖書をいただいたことがきっかけで教会に導かれ、高校1年生の時、クリスマス礼拝において洗礼を受けた。洗礼から3日後、夢の中にイエス様が現れ、「香織、香織、あなたを召した」と言われ、召命を受けた。家族に誰もクリスチャンがいなかったこともあり、両親、家族、親族は大反対であったが、その反対を押し切って短大卒業後、東京聖書学校に入学した。初任地は島根県の秋鹿教会であった。そこで5年間仕えさせていただいた。現在は愛媛県の新居浜教会で仕え、20年目を迎えようとしている。
東京しか知らなかった私にとって、地方での伝道は戸惑いの連続だった。例えば、無人駅。一体、どうやって切符を買うのだろうか? 夜になると牧師館の屋根裏で本当のイタチの「イタチごっこ」が始まり、外は真っ暗でホタルが飛び交う美しい光景が広がっていた。さまざまなカルチャーショックや戸惑いがあったが、私にはすべてが新鮮だった。実は10代半ばくらいから、地方に対するぼんやりとした憧れがあった。東京には全国各地のいろいろなものが集まってくるから「なんでもある町」に見える。しかし、よく言われるように自分から何かを求め、行動しないと「何もない町」かもしれない。流行の速さ、情報の多さに圧倒され、疲れがちな自分がいた。しかし、地方の教会に遣わされ、自分のペースで歩めるようになり、本来の自分自身になれたように思った。
秋鹿教会では、周囲に家がなかったので駐車場にバスケットゴールを設置し、近所の子どもたちを招いてバスケットボールを楽しんだ。どこにボールが飛んでいこうとも、誰にも迷惑はかからない! このようなことをしていたら、過疎地域の小学校であったが、児童の約半数以上が教会学校に集った。お店や遊ぶ施設などが少ない地域だからこそ、教会に子どもたちが多数集ったのだと思う。私は「教会のお姉さん(?)」と呼ばれ、子どもたちと走り回り、汗だくになって遊び、福音を伝えた。夏には隠岐の島に子どもたちを引率しサマーキャンプを行い、冬には大山に登り、スキーキャンプを行った。自然そのものが素晴らしいアトラクションであった。
教会の眼下には宍道湖が広がっており、朝日、夕日が水面にキラキラと反射してなんとも綺麗だった。「結婚式を挙げるには絶好のロケーション!」と雑誌に秋鹿教会のことが紹介され、一般の方が結婚式を希望し、何件か結婚式を挙げた。これも多少の伝道になったかもしれない。
教会の裏山ではいろいろな山菜が採れた。礼拝が終わると、皆、裏山に登り、なかなか帰ってこなかった。しばらく待っていると、タラの芽やタケノコなどを抱えて帰ってきて「これを今夜の晩ご飯にしてくださいませ」とおっしゃり、たくさんの山の幸を堪能した。私は、初めて野菜の新鮮な味というものを知った。
コンクリートの建物、コンクリートの地面しか知らなかった都会っ子の私であったが、地方の教会に遣わされたことで、神様の造られた自然の美しさ、豊かさを知った。人はこの自然の中で生かされていることを体感した。
ひろせ・かおり 1974年東京生まれ。横浜女子短期大学、東京聖書学校卒業後、日本基督教団秋鹿教会を経て、日本基督教団新居浜教会主任牧師。牧師をしながらShepherd大学大学院で学び、修士号取得。現在も牧師をしながら早稲田大学に在学中。国際ソロプチミストルビー賞受賞。趣味:猫と遊ぶ。水族館や動物園に行く。