関東大震災100年で玉岡氏講演 「SDGsの先駆者」賀川豊彦と妻ハル 2023年9月21日

 賀川ハルを描いた小説『春いちばん』(2022年、家の光協会)の作者、玉岡かおる氏による講演会「賀川豊彦と妻ハルの関東大震災――今どこでも起きうる災害と復興を先人に学ぶ」(日本基督教団銀座教会、賀川豊彦記記念松沢資料館、「関東大震災100年事業賀川豊彦とボランティア」実行委員会主催)が9月2日、日本基督教団銀座教会(東京都千代田区)で開催された。関東大震災の復興支援に視点を当てながら、困窮する人々のために持続可能な社会事業の種をまいた賀川豊彦と賀川ハルの軌跡をたどった。

 1923年9月1日に関東大震災が発生すると、賀川豊彦はすぐに東京へ駆けつけ、現地を視察した後、同年10月からは墨田区本所で、テントやバラックに住みながら、被災者への救済活動を行った。救援活動に関わった人たちを賀川は「ボランチヤー(=義勇兵)」と呼び、今日の「ボランティア」という言葉は、この時に初めて使われたという。玉岡氏は、28年前の阪神・淡路大震災が「ボランティア元年」と言われるが、それよりはるか前に賀川が「ボランチヤー」と言っていたことを知ったと話した。

 また、阪神・淡路大震災では、体育館などに仕切りだけをして寝る場所を確保し、その他の生活は共同で行われていたことにも触れ、4畳半ほどの家で雨をしのぎ、炊事・洗濯などはすべて路地で行うような生活をしていた賀川だったからこそ、被災者に寄り添う救助ができたのではないかと話した。

 当時、政府による「帝都復興院」が作り出した復興計画の中身は、がれきの撤去や、道路・建物の復興といったことが主な事業で、人間のことには触れておらず、これは今の復興事業にも重なると指摘。玉岡氏は、インフラなど生活基盤の復興がまず大事だという考えは間違いではないと前置きした上で、「人を見捨てて復興なし」と語った賀川の、人間を思う心に共感を示した。

 被災地で賀川は「ボランチヤー」を組織化し、宗教、医療、保育等、広範囲にわたって持続可能な社会事業へと発展させていった。それらは今日でも、中ノ郷信用組合、中野総合病院、日本基督教団東駒形教会、光の園保育学校として活動が受け継がれている。

 生涯のパートナーであったハルは、賀川が留学のために渡米すると、共立女子神学校に入学。「互いに切磋琢磨しながら学び合い、向上していった2人だった。まさにパートナーシップで、社会の問題に取り組んでいった」と玉岡氏。

 この「パートナーシップ」も含め、「貧困をなくす」「飢餓をゼロに」「すべての人に健康と福祉を」「質の高い教育をみんなに」など17の目標を掲げる「持続可能な開発目標=SDGs」を、すでに賀川はほとんど実践していたという。

 「風が吹くと春が来る、春が来るとつぼみが膨らみ、草木が芽吹く豊かな時代がやってくる。賀川は寒風吹き荒ぶ時代の最先端に立って、日本が幸せになるためにいろいろな種をまいてくれたのではないか」

 「関東大震災100年事業 賀川豊彦とボランティア」関連企画パネル展「賀川豊彦と関東大震災――ボランティアのはじまり」は9月19日から2024年3月30日(土)まで、賀川豊彦記念松沢資料館(東京都世田谷区)で開催中。関東大震災における賀川豊彦の軌跡を35枚のパネルを通じてたどる。

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