【地方からの挑戦~コレカラの信徒への手紙】 兼牧の課題と可能性 門田 純 2023年10月21日
この4月から兼牧が始まった。牧師不足に加え各教会の財政が厳しいこともあり、1人の牧師が複数の教会を兼任する兼牧するケースが増えているのである。これまで牧会してきた長崎教会に加えて、諫早教会も兼任することになった。まだ始まったばかりで手探りのところが多いのだが、現時点での課題や可能性を考えてみたいと思う。
今のところ、基本的には長崎教会からオンライン配信する形で合同の礼拝を持ち、月に一度諫早教会で対面礼拝を持ち、その際は長崎教会ではオンラインで礼拝に参加する。コロナ禍によってオンライン礼拝の普及がなければ叶わなかったことである。諫早の役員さんたちが機材をそろえ、試行錯誤してセッティングに尽力してくださっている。役員会も月に一度の対面礼拝の後に持っている。
しかし月に1回だけだとコミュニケーション不足になる。諫早教会で月に2回、祈祷会を持つようになってからだいぶ改善したが、どうしても対面礼拝の回数が多く定住している長崎教会との距離感の差が出てきてしまう。「どちらに軸足が置かれているのか」ということが如実に影響してくると実感している。あえて「教会に住まない」ことも一つの方法かもしれない。
もちろん礼拝の時間を分けて、毎週二つの教会でそれぞれ礼拝を持つ、ということも検討している。しかし牧師としては、礼拝の回数そのものは増えていない現時点でも、すでに忙しくなってきたと感じている。気にかける人数が一気に増えたこともあるかもしれない。ほんのいくつかの突発的な予定が入るだけで、スケジュール帳は真っ黒になってしまう。
牧師にとって余裕や空白というものは、とても重要だと思う。誰が忙しく余裕のない牧師に相談をしたり、教えを請おうとするだろうか。忙しい中にも余裕を保つためには、仕事から離れて時間が大切だと思う。自分の場合は、とにかく広い自然の中に出かける。山の中や川沿い、海辺や田畑の広がる風景の中を犬たちを連れて散歩するだけで、だいぶ心の余裕が取り戻せる。自然の中に出かけていってリフレッシュできるのは、地方教会のメリットかもしれない。そういえば、イエス様もことあるごとに、人々から離れ1人で山に登って祈る時間を大切にされていた。
兼牧を始めて今までになかった希望を感じることもある。初めて合同の役員会を持った時のことである。礼拝の持ち方から役員会の持ち方や牧師謝儀の負担などが議題であったが、意外だったのは、この役員会が実に和やかだったことである。互いに権利を主張し合うこともなく、別々の歩みをたどってきた教会が合流するというだけで喜びにあふれる出来事だった。それはまるで、旅先で懐かしい人たちと再会する喜びのようだった。あるいは、結婚によって親類が一気に増えたかのような感覚に近いかもしれない。ともかく私たちはそれぞれのこれまでの歩みを労り合い、これから旅をともにする家族ができたことを喜んだ。
なんでも牧師頼みにせず、信徒さんたちが自発的に自分たちでできることをしようとしてくださることも感謝である。先日も、教会員の家族の葬儀があった際には、諫早の信徒の皆さんがそれぞれに積極的に奉仕してくださり心強かった。
ある信徒さんを訪問してお祈りした時に「何年振りだろう、誰かに祈ってもらったのは」と言われ驚いた。「ともに集まって、礼拝ができる、おしゃべりをして近況を分かち合い、祈り合うことができる」。もしかしたら、コレカラの教会に本当に必要なのは、ごくごく地味な教会の営みなのかもしれない。
かどた・じゅん 1983年神奈川県生まれ。上智大学経済学部卒業、社会福祉法人カリヨン子どもセンター勤務を経て日本ナザレン神学校へ。現在、日本ナザレン教団 長崎教会牧師(7年目)。趣味は愛犬とお散歩、夫婦と犬2匹猫2匹で全国を旅するのが夢。