【地方からの挑戦~コレカラの信徒への手紙】 家庭集会をしています 古川和男 2024年1月11日
がんで教会出席が難しい高齢の母のための集まり、友人をお誘いした集まり、家族のためのクローズドな学び、夫婦関係をテーマとした読書会……。「地方からの挑戦」なんて大げさな、目新しくもない地味な活動だけど、スモールグループっていいなぁ、大事だなぁと毎回思います。
スタイルはグループによってさまざま。テキストを読んでから分かち合うグループ、まず十分おしゃべりをしてから「こども聖書」を読む家庭、日曜午後は礼拝説教を踏まえ(新たな学びはなし)聖餐式とティータイム……。顔ぶれに合わせて臨機応変にするものの、どの場も参加者の率直なレスポンスが宝。「安全な場」を心がけています。批判をしない、「ノー」を言える、話したことが外に持ち出されない。その約束の中で、安心して感想や質問をして、聴いてもらえる時間。すると、安心して話が出てきます。
あらあら、そんなこと考えていたんだ。そんなこと話してくれるんだ(具体的な中身はヒミツです)。少人数だから分かち合える話がぽろぽろ出てきて大笑い。ふと真顔になって「こんな質問、恥ずかしいんだけど……」って、聖書や教会、信仰について、素朴な質問が出てくる。それは、クリスチャンホームで育った僕にとって、メチャメチャ刺激的で脳をフル回転させられる、神学スパーリングみたいな対話。そこでもすぐに答えようとせず、「○○○○ってことですか??」と問いを反復して、シッカリ確認することも欠かさないようにしています。
「牧師は話を聴くのが苦手」って言われるのはホントに残念。だって、もったいないよね? 「牧師の本来的な働きとは『聞くこと』であり、また『神が聖書において、祈りにおいて、そして隣人たちにおいて語る時、人々がその御言葉を聞きとる援助をすること』である」(ユージン・H・ピーターソン『牧会者の神学』)
小グループはまさにその現場。牧師も訓練してもらい、参加者も聴かれる安心を体験し、聴き手としても信仰者としても成長する。新たな一面をまたちょっぴり知った今日の会話を思いながら、しみじみ感謝があふれる帰路なのです。
最初の家庭集会のきっかけだったTさんが、11月に亡くなりました。当教会に来て初めての、葬儀司式でした。家庭集会の山ほどの思い出を胸に、説教し、祈りました。病床洗礼には至らなかったけれど、聖書の話を聴き、暗唱聖句を読み、僕や信徒さんたちをたびたび励ましてくれ、亡くなる前には娘さんに「信じる?」と聞かれて「うん」と言ったTさん(ああ主よ、その生涯を導かれたあなたの恵みを誉め称え、あなたのみ手に愛するTさんを委ねます)。参列したご親族の一人が、「昔、家庭集会ってあったなぁ」と思い起こしたとのこと。うれしい、うれしい励ましです。
10年前、生まれて初めて行ったアメリカの大教会で、基本は少人数でのデボーションミーティングだと教わりました。あの研修からずっと願っていたスタイルが、今ここで始まっているのかもしれません。忙しすぎる日本社会で、外国の真似はしないけど、だからこそ福音を「安全な場」として提供したいなぁとますます思っているのです。
古川和男
こがわ・かずお 1968年秋田県生まれ。北九州と新潟で育ち、東京基督教短期大学修了。伊達福音教会(北海道)、東吾野キリスト教会(埼玉)、パース日本語教会(オーストラリア、短期)、鳴門キリスト教会(徳島)牧師を経て、日本長老教会池戸キリスト教会(香川)牧師。趣味は、ジョギング、ジャム作り、橋ウォッチング。訳書に『ロスト・イン・ザ・ミドル』(地引網出版)。
【地方からの挑戦~コレカラの信徒への手紙】 副業はガードマン 古川和男 2023年5月21日 – キリスト新聞社ホームページ (kirishin.com)