【宗教リテラシー向上委員会】 宗教リテラシーとは何か(6) 川島堅二 2024年2月1日
今日求められる宗教リテラシーについて、すべての人に求められるもの、特定の宗教の信者とりわけ指導者(聖職者)に求められるものについて書いてきた。最後は、宗教の研究者に求められるリテラシーについてである。
1995年オウム真理教(当時)による地下鉄サリン事件が起こり、この団体の犯罪が過去にさかのぼって明らかになった時に、オウム問題を追及してきたジャーナリストの江川紹子氏は「宗教オタク(宗教学者のこと)は黙っていてほしい」と、カルト問題に無力な宗教学者に苦言を呈した。
オウムはすでに1988年から過失致死やリンチ殺害事件、不法な遺体遺棄、そして坂本弁護士一家拉致殺害などの犯罪を起こしていた。この間、代表の麻原彰晃は東大、京大など名だたる大学の学園祭での講演に招かれ、また宗教学者も同席するテレビの討論番組に出演するなどしていたが、およそ宗教学者サイドからこの団体の問題性を指摘する声は上がらなかった。「宗教オタク」と揶揄されて当然だろう。
しかし、20世紀の初めに日本において宗教学が産声を上げた時、その志にはもう少し違った方向性が示されていた。すなわち日本の宗教学の基礎を築いた姉崎正治=写真=は、1930年5月、東京帝国大学文学部宗教学講座創設25周年記念会における講演において、宗教研究者を「気象台」になぞらえ、内外の宗教研究および活きた宗教状況の観測者であることを心がけねばならないと述べているからだ。
気象台の存在理由は、人の生活に甚大な被害をもたらす悪天候を大気の観測によって事前に予測し、事前に警報を発することであろう。宗教状況の観測者(気象台)として、事前に警報を発するような宗教学が、当初は構想されていたのだ。
実際、姉崎は宗教の「病態」を論じることに強い関心を示している。姉崎が最初に「宗教病理学」の着想を得たのは東京帝国大学3年次の1895年、榊俶(さかきはじめ)の講義「精神病理学」の受講であるとされるが、大学卒業後、先進学院(東京自由神学校の後進)で「宗教病理総論」の講義を担当、さらに「宗教の病態論」として、雑誌『太陽』に「病的宗教」、「聖典偽作の宗教病態」などの論文を発表している。
民間信仰論も、姉崎においては「人類の宗教的意識が疾病状態に陥るの容易なる」病態論の一部として行われた。これら諸業績は1900年出版の『宗教學概論』の第四部「宗教病理学」に集約される。
この「気象台としての宗教学」すなわち「宗教病理学」が、戦後の日本の宗教学に受け継がれることはなかった。学問の専門分化に伴い、宗教学が人文社会学の一分野と自覚されるようになり、「病理学」という文系学問にはなじまない領域は敬遠されたのだと思う。
しかし、時代は宗教学に対して、単に文化現象としての宗教の意味を明らかにすることにとどまらず、宗教現象の「気象台」として、病的宗教が人間社会にもたらす害悪を先駆けて察知し、警鐘を鳴らすことを求めている。
筆者はかつて、このような「気象台」の役割を果たす宗教学を「予防宗教学」として提唱した(共著『神学とキリスト教学――その今日的な可能性を問う』キリスト新聞社、2009年)。この主張は「体制擁護の御用学問に取り込まれるおそれが大きい」(森本あんり氏)と批判され、今日まで必ずしも受け入れられてはいないが、宗教の病態である「カルト」を研究対象とする「宗教病理学」の確立が、宗教研究者のリテラシーとして今日改めて求められているように思う。
(つづく)
川島堅二(東北学院大学教授)
かわしま・けんじ 1958年東京生まれ。東京神学大学、東京大学大学院、ドイツ・キール大学で神学、宗教学を学ぶ。博士(文学)、日本基督教団正教師。10年間の牧会生活を経て、恵泉女学園大学教授・学長・法人理事、農村伝道神学校教師などを歴任。