国際宗教研究所70周年 東大で記念シンポ「これからの社会と宗教教団」 〝公共性〟〝自浄作用〟に焦点 2024年3月8日

 「国内外の諸宗教を研究し、それらの相互理解と国際的理解の増進を図り、もって文化の向上発展と世界の平和及び人類の福祉に貢献すること」を目的に、1953年に設立された国際宗教研究所(島薗進理事長)は2月17日、設立70周年を記念する公開シンポジウム「これからの社会と宗教教団」を東京大学本郷キャンパス(東京都文京区)、およびオンラインで開催した。

 シンポジウムに先立って行われた第19回国際宗教研究所賞授与式では、昨年1月『ギニア湾の悪魔――キリスト教系新宗教をめぐる情動と憑依の民族誌』(世界思想社)を上梓した村津蘭氏(東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所助教=写真右)が表彰された。同書は、ギニア湾に面したベナン共和国をフィールドとし、1980年代以降アフリカ全体で急速に成長するペンテコステ・カリスマ系教会の潮流を視野に入れつつ、バナメー教会の興隆理由を論じた民族誌的研究。同賞の選考委員会は、「一貫して信者たちの声やその現場での雰囲気や音などを積み重ねながら論述を進めて」おり、政治・経済的文脈に縮減して論じられがちな事象を、具体的な実践に根差しながら身体・情動という観点から分析し、「新たな知見と方法論を提示」したと評価した。

 村津氏は研究の動機について、ボランティアとしてベナン共和国に滞在した折、神を名乗る16歳の少女と出会い、「当たり前と思っていた現実がまったく異なるあり様を持ち得ることに、強烈な興味と可能性を感じた」と回顧。礼拝に参加し、信者と交流するうちに、病、離婚、流産などの切実な問題に、教会が深い癒やしや具体的な解決を与えている側面も見えてきたと語った。

〝教団を「開く」ことでサポーターは増える〟

続くシンポジウムでは、冒頭に司会の弓山達也氏(東京工業大学教授)が、今回の主題を「これからの社会と宗教教団」とした理由について語った。

 1995年のオウム真理教による地下鉄サリン事件以降、宗教教団の活動への批判的なまなざしは、2022年の安倍晋三元首相銃撃事件を契機に再び焦点が当てられた統一協会問題によって、一段と強いものとなった。一方、2010年以降の度重なる自然災害への対応や、貧困や社会的弱者へのセーフティネットとしての役割に宗教教団の力が期待され、国際宗教研究所もシンポジウムや刊行物で取り上げてきた。

 これからの社会は、宗教教団との関係で「新たな段階」に差し掛かっており、「明確な価値観を発信し、無視し得ない組織力を有し、私たちの社会生活に実は大きく関わっている宗教教団に注目することは、平和で豊かで文化的な世界を創るうえで重要」との認識に基づき、例年とは異なり研究者による発題に対して、宗教者側が答えるという形式をとった旨の説明がなされた。

 登壇したのは大谷栄一(佛教大学社会学部教授)、矢野秀武(駒澤大学総合教育研究部教授)、山口瑞穂(佛教大学総合研究所特別研究員)の3氏。それぞれ、「宗教教団の公共性をあらためて考える」「宗教の共用域づくりから交流へ――教団と非信徒の狭間」「宗教教団の自浄作用について考える」と題して発題した。

 大谷氏は、近現代における宗教団体の法的地位の変遷、「信教の自由」と「公共の福祉」のバランス、宗教教団の公共性・公益性をめぐる議論を踏まえた上で、「一般の不特定多数の人たちのニーズとその精神的なニーズに応答し、宗教施設を誰に対しても開くということ」を公共性と定義し、「ともにする(協働)」と「ともにある(臨床とケア)」という宗教教団のあり方が重要な鍵になるのではないかと提唱した。

 矢野氏は、タイの上座部仏教における慣習として在家者と接する出家者の姿勢、共用される諸寺院行事、布施と社会事業募金の相乗りを紹介。「ハードな活動(救済や問題解決・支援)の手前に、ソフトな活動(親しみ、ほのかな感化)があり得る。特定の団体、施設に限定されない緩やかな関わりによって勧誘のイメージを払拭し、非信徒(無宗教者)の宗教界全体への薄く広い信頼が醸成できるのではないか」と提起した。

 日本のエホバの証人を研究対象としてきた山口氏は、離教者・離脱者に対する排斥的な態度を徹底させることで組織統制を行ってきた教団が、メディアからの問いかけによって反応せざるを得なくなったことは大きな変化としつつ、「抑圧や搾取や疎外の上に成り立つような運営が、『創られた伝統』によって正当化されていないか」と問いかけた。さらに、「『伝統』によって意味づけられてきた女性や家族の問題について考えることも、教団の自浄作用において不可欠な要素であり、こうした問題に向き合う緊張や据わりの悪さを引き受けていくことも期待される」と指摘した。

 休憩をはさみ、池田奈津江(弥生神社権禰宜)、名和清隆(浄土宗総合研究所研究員)、松谷信司(本紙編集長)の3氏がコメンテーターとして応答。

 誰のために、何のために宗教施設を「開く」のかをめぐる議論で大谷氏は、「古くからの檀信徒や教会員をないがしろにした公共性はあり得ない」と前置きした上で、地方の寺院による具体的な活動例から、「お寺の社会貢献、社会活動について紹介すると必ず『それで檀家は増えるのか』と聞かれることも多いが、サポーターは確実に増えており、彼らが檀家や信徒にならなかったとしても、宗教施設の運営にはプラスになるはず。宗教への関心と教団への関心は異なり、その双方をつなぐ必要がある」と述べた。

 矢野氏は自身の経験から、都市部で地域社会から孤立している非信徒の存在を想定し、そうした人々が宗教的な世界に一歩近づけるような仕組みや機会を、偶発的な慣習として作れないかと述べ、「顔の見える宗教者」の意義を強調した。

 仮に第三者機関ができた場合、エホバの証人が健全化する可能性について問われた山口氏は、これまで社会的な摩擦を起こさないよう「合法的な活動である」と反論してきた教団の実態から、「かなり難しいと言わざるを得ないが、メディアの報道などによって少しずつ変わる余地はあるかもしれない」と答えた。

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