東京神学大学×東京基督教大学 第3回「TTT」で「洗礼・聖餐・教会形成」を議論 2024年3月22日

 東京基督教大学(TCU)と東京神学大学(東神大)の神学生有志たちによる座談会「TTT」が3月1日、東京神学大学(東京都三鷹市)で開催された。3回目となる今回は「信じるとは何か? 洗礼・聖餐・教会形成」という主題のもと、 両大学の学生らが議論を交わした。

 2022年10月31日に開催された第1回目(会場=日本基督教団富士見町教会)は「聖書理解の相違点 見えざる壁を超えて」、翌23年3月8日の第2回目(会場=東京神学大学)は「伝道の多様性 一般恩恵と特殊恩恵」とのテーマで語り合った「TTT」。これまでは代表者として学生が発表する形式だったが、今回は学生が直接交流する形で二つのグループに分かれてディスカッションを行った。

 「TTT」の名称にはTCU、TUTS(東神大の英語表記)、Theologyの頭文字である「字義的意味」と、ゴルゴタの丘をイメージした「福音的アレゴリー」、ルターがヴィッテンベルク城付教会で『95カ条の論題』を提示する際に使用したハンマーをモチーフに、今こそプロテスタント教会におけるプロテスタンティズムが必要であるという「歴史的アレゴリー」が込められている。

 洗礼についてあるグループは「それ自体大切な神からの恵みである」ことを前提とした上で「実際は受けることのハードルがかなり高い」とし、その理由について最近の青年期世代は出入りがしやすい、いわゆる「ゆるいつながり」で満足する傾向があることが挙げられた。それはある種の個人主義であり、プライベートエリアを徹底的に確保することで安心感を覚える。その意味で洗礼のように「己に死に、教会に属する」という明確な意思表示は、そもそも現代的な感覚にはそぐわない可能性があるという。

 他方、洗礼が信仰の告白において重要な聖礼典であることを忘れてはならないという点から「必要なのは洗礼を受けること以上にその道なりを整えること」との意見も出され、聖餐式の可能性についても論じられた。

 あるグループの発題者は「自分の母教団は、信仰を自覚した人が聖餐を受けられるシステムとなっており非常に良いと思う」と述べ、支持する理由の一つとして「個人主義的な現代では公で洗礼を受けるよりハードルが低く、自分の意思で選択できることは尊重されているというメッセージにつながり、結果的に受洗への動機にもつながる」「昨今の宗教を敬遠する社会の空気感から、信じたくても周囲の反対から洗礼を受けられない人たちへの配慮も必要」との二点を挙げた。ただ参加者たちは無秩序に聖餐を開放するのではなく、聖餐と洗礼の段階的な順序を踏む伝統的重要性(コリントの信徒への手紙一11章27〜29節)を踏まえながら新しい切り口がないかと模索する大切さを訴えた。

 教会の持続可能性についての議論では、両グループ一致して「子ども(ユース世代)に注力する必要性」を強調。実際、ユース世代の礼拝出席者数が増加しているという事例について、「学生たちのほとんどはSNSを駆使しており、自分の経験を共有する習性がある」とし、彼らの〝拡散力〟に注目。彼らを呼ぶ方法については、学校の前でのチラシ配りが多く挙げられ、トラクト配りが旧態のものではなく、今の世代にも届くことを示した好例として注目された。加えてX(旧Twitter)やインスタグラムを〝随時〟更新する必要性も挙げられ、流動的な現代社会において大切なのはホームページなどを作って終わるのではなく、絶えず活動を共有することにより「現在進行形で生きている空間」であることを示す必要があると指摘した。

 2時間にわたる議論は伝統的な神学の枠組みを超えて、若者たちの現代的センスや配慮についてまで触れられた。最後に運営委員会の渡邊主祈さん (TCU2年)は、「特に興味深かったのは聖餐論で、今後も信仰と視覚的な印については議論を深める必要があるだろう。教会の持続性については、教会間の継続的な協力や学びがあれば、なお効果的かもしれないと感じた。過去の分も含めこれらの議論を〝学生同士〟ですることに意義があると思う」と締めくくった。

 「TTT」は今後も、半年に1回ペースでの開催を予定している。

東京神学大学×東京基督教大学・前編 「見えざる壁」越えて 神学生有志が共同企画 交流と神学議論を目的に 2022年11月11日

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