【この世界の片隅から】 命を織りなす主 台湾原住民の信仰と文化 甦濘・希瓦 2024年4月21日

 台湾原住民のキリスト教信仰の状況について注目するには、原住民の伝統文化や神話、歴史などの変化の中で、どのようにキリストの信仰に出会い、対話し、織り交ぜられていったかがカギとなる。彼らの現状は「伝統的なものから、変化を経て、転換と革新」に向かっているが、それでもほぼすべての原住民は伝統的生活文化である「織る」という価値観を共有しており、その母体文化とキリスト教信仰の融和から、「主が織りなす」という認識と確信を見出すことができる。

 台湾原住民族の「織る」という言葉とその意味は、少しばかり発音に差異があるが、ローマ字表記に近いものがある。台湾原住民のタロコ族、タイヤル族、セデック族における「織る」という言葉は「Tminun」という一語である。パイワン族では、「Tjemenun」「Cempu」「Temqic」という3種類の言葉がそれぞれ異なった素材の衣服や製品を「織る」際にそれぞれ使われる言葉になる。また、ブヌン族では、「Matingu」が織るという言葉であり、プユマ族では「Temenun」が衣料品を織る際に使われる言葉となる。

「神様の村スマングスへようこそ」と書かれた村落の入り口の横断幕

 原住民の伝統文化である織物技術は、男女それぞれに異なった技術と働きを有するにせよ、織物に施される模様は、伝統的なトーテム又はモダンデザインと融合され応用されたデザインが採用されている。機織りの職人は、心血注ぎ制作する中で忍耐強さや剛毅さを高め、作品との一体感と期待を高めていく。この伝統的な織物文化は、個人の品性や技能を高めるだけにとどまらず、社会的グループとしての責任共有や協力体制をも形作っている。織物のすべての過程は、「主が織りなし、宇宙の万物を形作る」という姿に似ている。詩編139編13節のダビデの創造主に対する詩には「まことにあなたは私のはらわたを造り/母の胎内で私を編み上げた」(聖書協会共同訳)とつづられている。台湾原住民の民族的織物文化は、神学的思考を促し、原住民キリスト教徒に信仰的な立ち返りと新たな認識「主は命をつむぎ、今もなお織りなす」ことを深く気づかせる。このように「命を織りなす」意味と価値は、原住民の「織物」の文化と価値概念に密接に結びついている。

 台湾の雪山山脈の山深くに、スマングス(Smangus/司馬庫司)という、主の祝福を受け、タイヤル族に古来から伝わる命を紡ぐ知恵を伝えた村落がある。村落の集団生活は、聖書の「使徒言行録」に記される初期キリスト教徒らの共同生活を模したものであり、キリスト信仰の団結によって、「天・地・人・我」の一致を共通認識とし、「共に生き、有し、分かち合う」ことを主旨としている。それは、「一本一本の糸がお互いに緊密に連携し、美しい作品を織りあげることができる」という「Tnunan(織物)」の価値概念が大元にあるからだ。民族の伝統文化である「Tnunan(織物)」の美しい価値は、キリスト信仰と相成って、村落に新しい命を織り込んだ。

 スマングス村落とその生活領域は海抜1500~2000mに及ぶ台湾島を南北に走る雪山山脈に位置する。村落の入り口の巨木には「神様の村」と文字が彫られ、村にやってくる人々を歓迎している。スマングスは、タイヤル人の故郷であり、神様の村落なのだ。まさに、台湾原住民の自主自決の精神は、キリスト信仰の中で育まれてきたことがよく分かる。そして、大自然とその土地と住民は生命共同体であり、「天と地と人と私が共に生き、有し、作り、分かち合う」という原点に立ち返っていく。また、部族のアイデンティティ、価値、自治自決を再認識させ、人と大地との共存、協力、友好関係を修復させ、福音と文化の統合による希望と美しさを築くこととなる。

(翻訳=笹川悦子)

甦濘・希瓦
 スーニン・シーワ
 台湾の原住民族プユマ族。玉山神学院卒業後、台湾神学院で神学修士・教育修士、香港中文大学崇基学院神学院で神学修士。現在、台湾基督教長老教会・玉山神学院(花蓮県)のキリスト教教育専任講師、同長老教会伝道師。

スマングス村落

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