「幸せなら手をたたこう」の誕生秘話が漫画に 出版記念シンポジウム開催 2024年4月26日
60年前、坂本九が歌い大ヒットした名曲「幸せなら手をたたこう」の誕生秘話が、『幸せなら手をたたこう 誕生物語』(いのちのことば社)として漫画化され、日本語版と英語版で出版された。作者は、長崎在住の漫画家・西岡由香さん。その出版を記念するシンポジウムが4月6日、早稲田奉仕園スコットホール(東京都新宿区)で開催された。同曲の作詞者で、漫画のモデルとなった木村利人さん(早稲田大学名誉教授)らが登壇し、会場には約130人が集まった。
シンポジウムの前半では、木村さんが「幸せなら手をたたこうに込めた思い」と題して講演を行った。同曲は1953年、フィリピンのダグパン市で開催されたYMCA国際ワークキャンプに参加した時に一人のフィリピン人青年との出会いによって生まれた。このワークキャンプは、公衆衛生・健康と医療による開発援助活動の一環として行われ、木村さんの一番の仕事は「トイレ」を作ることだった。ダグパン地域は戦時中、日本軍がフィリピン軍だけでなく民間人に対しても残虐行為を行った地域で、戦後日本人が訪れたのは木村さんが初めてだった。戦時中、日本はアジアの植民地解放のために戦っていると教えられてきた木村さんは、ここで初めて日本がアジア諸国に犯した罪を知ることになった。
日本兵によって家を焼かれ、家族や友人を殺戮されたフィリピンの人たちにとって木村さんは、憎しみの対象でしかなく、時にはひどい言葉を吐きかけられることもあった。そんな中で友好的に接してくれたのが、ラルフというフィリピンの青年だった。実はラルフも、日本兵によって父親を虐殺されていたのだがそれでも「利人、お前が家族や友達を殺したわけではない。僕たちはキリストにあって友だちだ」と語りかけてくれた。そして、「僕らは憎しみを超えて、平和を次の世代をつないでいこう。仲直りすることができた喜びを覚えて、絶対に武器を取ることはやめようね」と誓い合ったという。
葛藤に苦しみながらも自分を受け入れようとしてくれるラルフのやさしさは、フィリピンの人たちから決してゆるされることはないと思っていた木村さんの心に希望をもたらした。ラルフのやさしさに応えたいという思いから、詩編47編の言葉「すべての民よ、手を打ち鳴らせ。 神に向かって喜び歌い、叫びをあげよ」(新共同訳)をヒントに詞を作り、現地の小学校でよく耳にしていたメロディーをつけた。坂本九がテレビで歌い大ヒットし、1964年開催の東京オリンピックでも使われ、日本だけでなく世界中にも広まっていった。
ワークキャンプの中でラルフ青年と平和を態度で示して生きていこうと誓ったことを振り返り、同曲に込めた思いをこう語った。「幸せの『し』は自分たちの歴史を知ること、『あ』は人を愛すること、『わ』はネットワークの輪を広げること、『せ』は世界に出て外とつながること。そして『幸せなら態度で、世界を変革しましょう』というのがこの歌に込めた思いです。私は90歳になりますが、世界の人々が平和のうちに共に生きられるようこれからもこの思いを目指して生きていこうと思っています」
シンポジウムの後半は、漫画家の西岡由香さん、国際ジャーナリストの伊藤千尋さん、そして再び木村さんが登壇し、パネルディスカッションが行われた。長崎で原爆被爆者の証言談なども漫画にしている西岡さんは、コロナ禍の中で木村さんに出会い、メールなどを通して交流する中で、木村さんの体験を漫画にしたいと強く思うようになった。自分にできることで平和のメッセージを広めたいという思いを持ってこの誕生物語に取り組み、2年かけて完成させた。木村さんの体験を忠実にたどりながらも、自分なりのメッセージを込めた部分も紹介し、漫画ならではの豊かなイマジネーションに驚きの声があがった。
元朝日新聞の記者でもある伊藤さんは、2013年に木村さんと一緒にフィリピンに行き、ラルフ青年と出会った小学校を訪れ、取材し、朝日新聞で「歌の旅人」という特集記事にしている。新聞で大きく取り上げられたことにより、同曲は2回目のブームとなった。今では日本を代表する平和ジャーナリストとして活躍する伊藤さんは、「暴力の連鎖」を断ち切らなければ戦争はなくならないと述べ、同曲にはその力があると語った。また、誕生秘話を漫画だけでなく、アニメやオペラにもしてさらに多くの人に広めてしほしいと話した。
会場となった早稲田奉仕園は、木村さんが仲間たちと「幸せなら手をたたこう」を最初に歌った場所。ここから「うたごえ喫茶」などに広まり、坂本九が歌うようになった。
パネルディスカッション終了後には、木村さんの古くからの友人である沖縄市出身の桑江光子さんが音頭をとり、来場者全員で「しあわせなら手をたたこう」を歌い平和への思いを共有した。