追悼特集 加藤常昭(説教塾主宰)インタビュー 説教のために召されて生きる 【シリーズ・日本の説教者】

 雑誌「Ministry」の連載「シリーズ・日本の説教者」で2009年春号にご登場いただいた加藤常昭さんが、2024年4月26日に亡くなった。故人を偲んでインタビューの抜粋を掲載する。

 神学者、伝道者、隠退教師――どの肩書きも、その働きを表現するにはどこか物足りない。「主宰」として関わる説教塾は、一昨年で発足以来20周年。自身は今年4月で満80歳を迎える。東京説教塾ではこれを記念し、毎月1回の連続公開セミナーが開かれている。今日、その著訳書が最も広く読まれている「説教者」の1人、加藤常昭の素顔に迫るため、国分寺戸倉の自宅を訪ねた。

何年経っても「竹森流」

 今回収録した伝道礼拝での説教「救いとは光そのものになること」を改めて聞き直した加藤自身の感想は、「竹森満佐一先生にそっくり」という一言に尽きる。準備の仕方、説教の流れ、口調、人称代名詞の発音に至るまで、まさに師と同じ「竹森流」だという。「結局、この歳になるまで、そうした感化から抜け出ていないんです」

 母校の東京神学大学を卒業して10年余りのころ。ある礼拝で説教をした時、会ったこともない一人の女性から「お懐かしい」と声をかけられたことがある。曰く、「久しぶりに竹森先生にお目にかかったようで……」。笑顔であいさつしながら、当時の心境は複雑だった。「まだ自分自身のものになっていないとも聞こえるわけです。でも、今回の説教を聞きながら、これでよかったと思いました。それほどの感化を受ける牧師に出会ったということは、幸せなことです」

 芸の世界において、弟子が師匠の真似をして伝統が継承されるように、説教にも流派ができるのは自然なこと。それは、「パイエティ(piety)と言ったほうがいいような、説教に伴う信仰の要素」でもあると話す。

 イメージの説教

 説教全体が豊かなイメージに貫かれているのも「竹森流」。加藤は著書の中で、たびたび竹森の説教を教材として取り上げてきた。そこで強調しているのは、その説教がいかに文学的か、イメージの力がどれだけ大きな意味を持っているかということ。

 説教でイメージを用いるのは、「技巧」としてではなく、むしろ必然だという。「概念と論理による思索というのは、無意味じゃないと思うんですが、それだけだと神学的事柄を捉え切れない。たとえば、キリスト論などは最も精密な理論構成を要求されますが、イエス・キリストのイメージなしにキリスト論の論理だけが先行すると、とてもおかしなことになる。まして、説教はそれではできません」

 生来の「文学好き」も影響しているのか。東京大学(旧帝大)で哲学を専攻するまで、作家になるか評論家になるか真剣に悩んだ加藤には、「フィクションを通して初めて見えてくる真理がある」という実感がある。

 説教準備で行われる黙想も、それ自体がイメージの世界。「キリスト教会の歴史、特にカトリックでは、イメージが非常に重要な役割を果たしてきました。説教だけでなく、神学するということ自体、イメージの世界と別のところでは成り立たないと思います。物事をイメージで考えるということは、神学することにつながる。つまり、神学することとイメージでものを捉えることと、説教するということがすべて重なるんです」

 今回の説教では、特に「光そのものになること」が強烈なイメージを伴って力強く語られた。「聖書というのは、何か理想や理論を語っているわけではない。だから、努力して光になりましょうというのではなく、『あなた自身において起こっている神の言葉の出来事を信じていただきたい』、つまり『あなた自身を信じてほしい』と言うんです。それは、自信を持てというのではなく、洗礼を受けて神の子とされている自分を信じること。説教者というのは、そういう恵みの出来事があなたに起こっていると証言しているようなものです。あなたはもう光の中に生きている。だから、そういう意味では人間そのものに絶望していないわけです」

伝道者の好奇心

 さらに、神学と説教との関係性については、「説教なくして神学は成り立たない」というのが加藤の持論だ。中世の神学者トマス・アクィナスが故郷ナポリの教会で説教をした時、地元の泥棒が喜んだという逸話がある。人々が皆、教会に出かけて家を空けるのだ。ナポリの民衆がトマスの説教を涙ながらに聞いた。ルターはもちろんカルヴァンも、優れた神学者は皆、優れた説教者でもあった。

 「神学校の教室で学んだとおりのことを説教して説教になるようでなければ、本当は困る。実用的な目的などを押しつけられたら学問性が崩れるわけですが、実践神学の立場から言うと、説教の役に立たないような神学の学問性って何ですかと……。そういう問題にまで行くと思います」

 その追及の矛先は、今日の神学教育にも向けられている。「学問は退屈だというのは、学問としての自己矛盾。バルトの『教会教理学』なんて難解だけど、読むと興奮しますよ。福音の真理とはエキサイトさせるものです。そういうのが非常に優れた学問の特質です。単に感情的に興奮するというよりも、好奇心がかき立てられるんですね。神学校での講義は、どんなに学問的であっても、伝道者になろうとする者の好奇心を呼び起こすものであるべきで、そうでなければ、やっても意味がない。せいぜい学位をとりました程度のことになってしまう」と手厳しい。

 それを裏打ちしているのが、東京神学大学で出会った恩師たちによる授業の思い出だ。たとえば、信濃町教会牧師の山谷省吾。山谷は山上の説教の講解をした際、「日ごとの糧」というのは「要するにニコヨンだ」と教えた。「ニコヨン」というのは、当時の日雇い労働者の日給240円のこと。「指を突き出して『神さま、240円!』という祈りだ、と。ただ面白いというだけでなく、この先生の信仰が存在化しているのが伝わってきて、何より嬉しそうに語っていること自体が感動でした」

 加藤自身にも似たような体験があった。説教塾で、さまざまな注解書を読みながら釈義をしてみせた時のこと。後日、ベテランの牧師が長い手紙をくれた。「先生が楽しそうに注解書の話をしたので驚いた。私にとって説教準備の間に注解書を読むというのは、必要だからやっていることで、砂を噛むような思いの作業だ」。加藤は、「砂を噛むような思いでしかできない釈義の作業など、釈義の名に値するのか」と逆に驚いたという。

 「要するに、私は伝道することが楽しいんです。伝道者は、伝道の使命に役に立つものについては何にでも好奇心を持つ。だから、神学にも、説教にも、人間にも関心を持っている。そのために召されて生きているんです」

牧師としての危機

 しかし、そんな加藤にも、牧師としての危機が訪れたことがある。金沢に赴任して2、3年目のころ。先輩牧師たちから「説教は命がけだ」と言われながら、次第に命をかけなくても説教できると思うようになってきた。特に、毎日のように誰かを訪ねる伝道の日々にあって、説教の準備がままならない日もあった。しかし――「こんなひどい説教をしたから、次の日曜日は誰も来ないんじゃないかと思っていると、翌週も変わらず来てくれる。複雑でした」。説教への不誠実さに慣れてきた自分が怖くなり、牧師を辞めざるを得ないと思いつめた。ついには、妻にも言えない深い悩みになっていた。

 その危機を救ってくれたのが、エードゥアルト・トゥルンアイゼンの『牧会学』。上京して教文館の書棚に見つけ、実践神学の師であった平賀徳造が牧会学講義の中でそれを「良い本だ」と薦めていたことを思い出し、迷わず購入した。帰宅後、我を忘れてむさぼるように読み、翻訳まで手がけた。

 「本当に立ち直りましたよ。書物というのは大きな働きをする、出会いの出来事を作るものだということをしみじみ思いました」。それから後、小さな危機はいくつもあったが、牧師を辞めようと思ったのは後にも先にもこの時だけだという。

「加藤流」説教ができるまで

 2階の仕事部屋には、壁一面に注解書、神学書、辞典の類がずらりと並ぶ。階段には、これまでに出会った恩師たちの写真が飾られ、来客を歓迎する。地下に降りると、貴重な蔵書の数々が整然と並べられた書庫が広がる。この空間から、どのように「加藤流」説教が生まれるのだろうか。

 加藤は、説教の原稿をほとんど書かない。かつて、日本基督教団鎌倉雪ノ下教会で講解説教をしていたころに原稿を書いたこともあったが、多くの場合、今回同様、持参するのは小さなメモ1枚。しかも、それすらほとんど見ないで語る。「特に伝道説教というのは、聞いている人の顔を見ながら、やりとりをする。そのダイナミックな動きの中に身を置くためには、原稿を読んでなんかいられません」

 メモには、大まかな話の流れ、引用する人の名前、年代、正確に引用すべき文章などが書かれている。

 しかし、この「メモ原稿」に至るまでには、あるいきさつがあった。結婚して間もなく、「最良の聞き手」と加藤も認める妻さゆりに、「あなたは原稿をひたすら読んで説教したつもりになっているけれど、私たちはみんな取り残されている」と指摘された。「これは痛烈でしたよ。妻が私の説教について口を出したのは、これが最初で最後です」

 さらに源流をたどれば、「竹森流」の説教原稿がある。竹森は、小さな手帳を聖書の上に置いて説教をしていた。ある時、竹森が置き忘れた手帳の中をこっそりのぞき見ることができた。すると、そこに書かれていたのは、ほんの少しのメモ書きのみ。「これだけであんな説教ができるんだ」。この体験が衝撃となり、その後の説教作りに大きな示唆を与えることになった。

 では、メモを書くまで、どんな準備をしているのか。まずは、持っている限りの注解書を読む。さらに、聖書の翻訳を読む。ルターのドイツ語訳、フランシスコ会訳、個人訳。旧約聖書の場合、関根正雄訳は必ず読む。それからドイツ語の黙想の文章を数多く読み、自分の黙想に入るが、基本的には書かない。とにかく、み言葉を聴き続け、思索を深める。

 一貫しているのは、書斎に入って準備するのではなく、常日頃から準備するという姿勢。「説教で取り上げる旧約と新約のテキストは、いつも頭の中に入れて反芻しています。特に電車の中はいい。黙想のみ言葉にさわるというか、み言葉にさわられると言ったほうがいいような時間を過ごせます」。まさに24時間、み言葉と「共に」生きることが、説教の準備には欠かせないと加藤は言う。

 では、指導者としてどのように教えているのだろうか。説教史に残る優れた説教者たちは、意外に原稿を読んでいる場合が多いという。名説教者ニューマンは、説教檀に上がるなり、下を向いて原稿を読み始める。それが1000人もいる会衆の一人ひとりの心の奥底に届いたという説教の聴聞記録もある。「結局、問題は、原稿をどう書くかではなく、その人がいかに最善の仕方でみ言葉を説くことができるかということ。だから、原則は立てない。その上で、書斎だけで準備するな、できるだけ聴き手に向かって話せ、と指導しています」

 ある時、こんな説教があった。話し言葉で書かれた説教原稿はよくできているが、実際に聞いた説教は、原稿を読んだ時ほど感銘を与えていない。「説教は一種の『出来事』です。それを原稿で固定化してしまうと、いかに話し言葉で書かれていても『出来事』の言葉にならない。原稿の中ですでに固定化していると、相手を動かせません」

(聞き手・越川弘英、平野克己/撮影・山名敏郎)

*全文は同シリーズを単行本化した聖書を伝える極意 説教はこうして語られる』(キリスト新聞社)に収録。

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 かとう・つねあき 1929年、ハルピン生まれ。東京大学文学部哲学科、東京神学大学大学院修士課程卒業。石川県金沢、東京、鎌倉の日基教団諸教会で牧師を務める傍ら、23年間、東京神学大学教授(実践神学)を兼務。その間、津田塾大学講師、ハイデルベルク大学客員教授、国際説教学会会長などを歴任。現在、日本基督教団隠退教師。「説教塾」主宰として、後進の説教者の育成に力を注ぐ。著書は、『加藤常昭説教全集』(教文館)、『文学としての説教』(日本基督教団出版局)、『自伝的説教論』(キリスト新聞社)など多数。

【Ministry】 特集「教会を愉しむ」/対談「無神論の黄昏」森本あんり×アリスター・マクグラス 創刊号(2009年3月)

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