【この世界の片隅から】 1930、40 年代、中国教会の危機と発展 袁浩 2024年5月1日

 1930~40年代、中国教会に影響を与えた外部要因は、特に日本の軍国主義のアジア太平洋地域への拡大、また第二次世界大戦後には共産主義国家と資本主義国家の間で繰り広げられた冷戦と熱戦だった。つまり、具体的には日本による中国侵略戦争と太平洋戦争、また中国国民党と中国共産党による国共内戦など、立て続けに起こった戦争が中国教会にとっての大きな課題であった。

 1931~45年にかけての日中戦争の期間、日本は中国の東北・華北・華中地域を次々に占領した。占領地域の中国教会は、戦火による直接的な破壊に加えて、日本および傀儡政権からの統制と同化という大きな問題に直面しなければならなかった。日本の支援と脅迫の下での教会合同の推進により、満洲基督教連合会、華北中華基督教団、南京中華教団などが設立され、中国教会の組織運営・伝道・人事などはさまざまな面で独立性と自主性を失ってしまった。

 1941年12月に太平洋戦争が勃発すると、アメリカをはじめとする連合国の宣教師は中国から撤退したり、日本軍に捕らえられて収容所に送られたりした。これにより、占領地の中国教会の状況はさらに困難になったが、客観的に見れば、宣教師の支援を失ったことで中国教会はかえって、より自立する結果となった。

1949 年、福建省福州のキリスト者学生会

 37年、日本が華中地域に軍事攻撃を開始すると、国民党政府は南京から南西部の重慶に首都移転を余儀なくされた。政治の中心が西に移動したことに伴い、中国の経済・工業・教育など諸々の資源とともにキリスト教も西部の辺境地域に継続的に移動していった。沿岸部の教会にとって、日本が中国沿岸部を占領し植民的支配を行ったことがいわば「推力」となり、また国民党政府が中国西部に移動したことは「張力」となり、これらの二つ力の影響を受けて、沿岸部の中国教会も西に移動し始めたのだった。しかしこうした外在的推力・張力に比して、中国教会内部に宣教意識と奉仕精神が生まれ、中国西部地域への宣教活動や社会奉仕活動を展開させるようになった内在的力の方がより重要であったという点を見落としてはならない。

 45年に日本が敗戦し降伏したが、中国教会は再建や反省をする十分な時間がないまま、すぐに国共内戦が勃発した。共産党軍の連戦連勝は中国教会にとってさらなる大きな課題をもたらした。共産主義・軍国主義・ファシズムなど20世紀の全体主義は、いずれもキリスト教を制限したり、変容させたり、さらには消滅させようとしたりさえしてきた。

 全体として、内戦時期の中国教会と当時の神学者たちは、共産主義の国家体制・イデオロギー・宗教政策について、明確かつ体系的な認識を持っていなかった。また神学的にリベラルな人々の中には、共産主義革命が中国において「天の国」を実現する良い方法だと考え、共産主義と協力することを選択する者たちもいた。

 31年の満洲事変以来、中国教会は絶え間ない戦争と全体主義政権による統制・同化に直面してきたが、これらの外在的な困難な環境が中国教会の成長に歯止めをかけることはなかった。神学的立場と霊的伝統から見るならば、20年代から30年代にかけて中国人独自の自立教会において形成されたファンダメンタリズムとペンテコスタリズムは、30年代から40年代の戦争がもたらした多くの障害を乗り越え、中国教会全体の自立を維持し、伝道を展開し、敬虔な霊的信仰を育むのに貢献した。具体的には、戦乱の時期に中国教会には二つの重要なリバイバル運動が展開された。

1948年に設立された中国人独自の宣教団体「西北霊工団」の機関紙

 第一に、30年代末から、国民党政府が統治する地域の大学や中学でも、リバイバル運動が盛んに展開された。戦争による死と苦難の中で、何千もの大学生や中学生が、「苦しみを受けられたキリスト」を信じ、これらのキリスト者の中から多くの者たちが神に召されて伝道者となった。45年には「全国大学キリスト教学生連合」が重慶で設立され、同年の戦争終結に伴い、その福音運動は沿岸の大学や中学に拡大し、50年代初頭まで続いた。30年代から40年代の大学生による福音運動は、中国内地会〔訳注:ハドソン・テーラーが創設した伝道団体、China Inland Mission〕と自立教会の伝道者たちによって導かれたものであり、明確なファンダメンタリズム的神学の特徴を持っていたが、20年代の知識人が反キリスト教運動の時期にキリスト教に対して持っていた偏見と批判を大幅に払拭した。

 第二に、国民党政府の西遷に伴い、中国人独自の自立教会であれ、外国宣教団体と協力体制にある教会であれ、いずれもが中国西部・北西部・南西部の辺境地域への宣教を推進し始めた。30年から50年代初頭にかけて、中国教会は辺境宣教の高揚を見せた。1807年にロバート・モリソンが来華して以来、宣教の人的・物的資源の多くは沿岸地域に投じられ、中国内地会が西部辺境の宣教に注力したものの、全体としては辺境地域の宣教は無視されてきた。しかし、30年代から40年代のこうした辺境宣教運動によって、中国の多様な民族が可視化・認識されるようになり、福音が辺境地域に伝えられ、教会が次々と建設されていった。

 30年代から40年代の大学生の福音運動と辺境宣教運動は、中国教会が自立し成熟するための重要な一歩だったと言える。これらの運動が体現する敬虔主義の霊的伝統は、49年以降の中国教会が苦境を乗り越えるのに大きな助けとなった。多くの大学生や知識人が伝道者となったことにより、49年以降の中国教会は信仰の火種を保つことができたのだった。

(原文:中国語、翻訳=松谷曄介)

袁浩
 ユエン・ハオ
 1980年生まれ、中国山東省出身。北京大学で修士号、香港中文大学で博士号(Ph.D.)を取得。現在、カナダ・バンクーバーのバプテスト福音教会の伝道師、トリニティ・ウエスタン大学に設けられているACTS(Associated Canadian Theological Schools)の中国語部の客員教授。専門は中国キリスト教史。

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