ルポ 国内唯一のエチオピア正教会 聖金曜日の祭儀に密着 2024年5月9日

 現在、国内唯一となるエチオピア正教会のチャペル(東京都墨田区)で5月3日、聖金曜日(グッドフライデー)の祭儀が行われた。エチオピア正教会はアフリカ東部の国エチオピアで古くから続くキリスト教会で、イスラーム教が大半を占める地域に隣接しながらも、近世以降ムスリムとの大規模な軍事衝突を起こすことなく活動してきた。教会のルーツを、ソロモン王を訪ねたシェバの女王に求めるなど、旧約聖書の影響を色濃く残すことも大きな特徴。東方正教会の多くはユリウス暦を採用しているため、グレゴリウス暦を使う教会とは祭日が1~5週間異なることもある。

 この教会に通うエチオピア人は約100人。周辺の工場に勤める人が多く、教会が在日エチオピア人コミュニティとしての機能も果たす。今回、この教会が献堂された約8年前から請われてたびたび手伝いに来ているというトマス矢野達寛氏(コプト正教会助祭)に案内してもらった。エチオピア正教会とコプト正教会は、アフリカにある同じ非カルケドン派の正教会ということで聖餐や洗礼が互いに有効である。

 チャペルは工場の入る建物の中に設けられている。急な階段を登って中に入ると二十数名の信徒が男女に分かれて座っていた。部屋の間取りは2DK。手作り感のあるリフォームながら、工夫と配慮が各所に見られ、祭具はよく磨かれている。聖画のポスターを貼った壁をイコノスタシス(聖障)とし、ドアの向こうの部屋を至聖所としている。至聖所には聖職者しか入ることができず、神聖な祭具はそこに保管されている。正面の聖画は、向かって左手上部にイエスとペテロ・パウロの図像、その下に教会の守護聖人である聖ミカエルの図像、右手にはイエスの十字架磔刑図。周囲の壁にも隙間なく聖画が貼られている。チャペルに入ると身を包む白いローブが貸し出された。

敬虔な祈りを捧げる信徒たち

 祭儀は正午すぎに始まった。司祭一人と助祭四人が代わる代わる聖書とその要約を朗読し、時折、詠唱が交じる。聖書は、通常エチオピアで話されているアムハラ語と、典礼の際に用いるゲエズ語との対訳で、祭儀では両方の言語が使われていた。司祭の先導にしたがって信徒たちも詠唱し、祈りの言葉を唱える。イエスが捕らえられ、十字架に架かり墓に埋葬されるまでの一つひとつの場面が、司祭たちによって象徴的に演じられることで、祭儀に参与する者は「その日」を追体験する。

 イコノスタシスは正教会の典礼で重要な役割を果たすもので、通常は中央に王門(天門)、その左右に北門と南門があるが、このチャペルでは民家をリフォームしている都合上やむを得ず1カ所のドアを使って応用している。途中で司祭たちは白い衣装から赤い祭服に着替えた。赤は聖金曜日に着る典礼色。香炉で焚かれる香も、いつもは乳香だが、聖金曜日には没薬(ミルラ)が焚かれる。これらは受難を表したものだ。

 「キリヤライソン、キリヤライソン、キリヤライソン……」。40回以上も繰り返されるキリエ・エレイソン(主よ、憐み給え)。会衆は跪いて床に頭をつけるお辞儀を反復しながら、祈りの手を主に伸ばす。濃密な空間の中で、会ったことのないキリストが次第にとても近しい存在のように思えてくる。聖金曜日には聖体(パン)は与えられないが、自分のなかで聖変化が起こるのかもしれない。

イスカリオテのユダに見立てた火を棒で叩いて消す

 ハイライトは、イスカリオテのユダに見立てた火を、複数の棒で荒々しく消し、太鼓を叩いて歌う時間。会衆も立ち上がって体をゆすって歌い、そこに「ルララララー!」とアフリカ独特の声帯を震わす合いの手が加わり、祭りは最高潮を迎える。最後は、司祭からオリーブで一人ひとり3回肩を叩いてもらい、その葉をもらう。気づくと時刻は18時を回っていた。

 祭儀が終わると、近くの公園に場所を移して愛餐会が行われた。エチオピアの伝統料理であるインジェラと2種類のワット(煮込み料理)は信徒のお手製。発酵させた粉をクレープ状に焼いたインジェラは酸味があり、さっぱりとした味わい。健康食でもある。「おいしいです」と言うと、「空腹は最高の味付けですね」と矢野氏が応えた。聞けば、ほとんどの人がこの日初めての食事だという。キリストの受難を思って断食して集まるためだ。「辛くないですか? お口に合いますか?」と笑顔で尋ねてくれる女性も、あらかじめ料理を用意しながら、断食して祭儀に与っていたのだ。もしどこか他のところで彼らに会ったとしても、その中に息づく信仰は見えず、同じ神を信じているきょうだいとは思いもせずに通り過ぎてしまうのだろう。

 司祭は日本在住だが遠方に住んでいるため、典礼の日にしか来ることができない。信徒にとっては1回1回が貴重な時間である。だが、その回数が毎週に増えたとしても、貴重に思う気持ちは薄まってはならないものだろう。異文化のキリスト教に触れることで、普段「当たり前」と思っている教会生活をふり返ることができる。また交流を通して、キリストにあることの豊かさを改めて感じた。

(本紙編集部)

公園での愛餐会。司祭が祈ってから食事を始める

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