【宗教リテラシー向上委員会】 宗教指導者の性犯罪が繰り返される理由(2) 川島堅二 2024年8月1日
宗教指導者による性犯罪が繰り返される理由について、前回(6月1日付本欄)、宗教指導者(教祖)個人の暴走(性欲を満たすなど)ではなく、団体の教義に基づく行為であることを指摘した。この点を、摂理(キリスト教福音宣教会)の被害事例に基づいて明らかにしていく。
大学生の時に教祖との個人面談で被害を受けたAさん(女性)は、脱会後、その状況を次のように振り返る。「部屋に入っていくと先生がいらして、あいさつをした後、パンツを下ろされ恥骨をガブリとかまれました。びっくりしましたが、私が処女かどうか(汚れていないかどうか)試されているのだと思いました。そして、ベッドに寝かされ、カイロプラクティックのような、整体のようなことをしてくださいました。とても気持ちがよく、いやらしいことは何もされませんでした。(中略)私がそれ以上何もされなかったのは、生理中だったからかもしれないと、今は思っております」
一般社会、例えば会社の上司と部下、大学の教員と学生の個人面談であれば、上司があるいは教員が、部下あるいは学生の服や身体に同意なく触れるというだけでも許されることではない。場合によってはセクハラとして訴えられかねない行為となる。しかし、摂理の教祖の場合は、「パンツを下ろし恥骨にかみつく」という行為でさえ、「汚れていないかどうか」を試す宗教的な行為と当事者に受け取られてしまうのである。
Aさんは脱会後、数年経っており、摂理の信仰から完全に脱している状態だったが、当時を振り返り「いやらしいことは何もされませんでした」と述べている点も驚きである。一般の感覚では同意なく下着を下ろされるだけでも十分「いやらしい」行為であるが、そうした普通の感覚がマヒしてしまうほど、神格化された教祖像(先生は性欲を満たすような行為をするはずがない)が、長期にわたる教え込みにより刷り込まれた結果である。
社会人で被害を受けたBさんの事例。頭痛があるので祈ってもらうという口実で、教祖の部屋に呼ばれる。そこには教祖のほかに通訳者として韓国人の幹部信者(女性)が1人いた。裸にされ寝かされた状態で教祖に全身を触られた後に、膣に指を入れられ「み言葉を聞いたから救われるわけではない。今、私が指を入れたことで私とBとの間に深い絆ができて救われたのだ」と言われたという。さらに「罪を清めるためにするとよい行為」として「四つん這いになり膣口を太陽光線に当てシャワーで洗浄する」ことを勧められた。Bさんはその言葉を信じようとしたが、身体にかみつかれたりしたので、これが果たしてメシアの行為だろうか、救いにこのようなことが必要なのかと徐々に疑念がわくことをどうすることもできず、脱会に至る。またこの時、通訳を務めた女性幹部からは「このことを口外したら祝福を失ってしまう。恵みから落ちてしまう」と強く口止めされたという。
2006年7月に朝日新聞が摂理の教祖の犯罪を報道した時の見出しは、「教祖、性的暴行繰り返す」であった。しかし、被害の当事者にとっては「性的暴行」という言葉から連想される犯罪とは結びつかない被害の形であることを上記の事例は示している。犯行者は射精はおろか、服を脱いでさえいない。第三者が立ち会う場合もある。性欲を満たすというような単純な動機ではなく、この団体の教義に基づく歪んだ支配欲の充足ともいうべき行為なのである。したがってこの教義が生きている限り、たとえ教祖が性欲の枯れた老人になったとしても犯行は繰り返されるのだ。
(つづく)
川島堅二(東北学院大学教授)
かわしま・けんじ 1958年東京生まれ。東京神学大学、東京大学大学院、ドイツ・キール大学で神学、宗教学を学ぶ。博士(文学)、日本基督教団正教師。10年間の牧会生活を経て、恵泉女学園大学教授・学長・法人理事、農村伝道神学校教師などを歴任。