【宗教リテラシー向上委員会】 宗教指導者の性犯罪が繰り返される理由(3) 川島堅二 2024年10月11日

宗教指導者による性犯罪が繰り返される理由について、それが個人の暴走ではなく、教義に基づく象徴的行為であること、したがって教義が存在する限り繰り返される可能性があること、またその被害が多様な形態をとるため、被害者がすぐに「被害」と認識できない場合があることを前回、前々回とキリスト教福音宣教会(以下「摂理」)の事例で説明した。
以上に加えて、特に信者にトータルコミットメント(強度の献身)を要求する宗教の場合、被害を受けてもそれを被害と認めたくない強い心理が働くことを指摘したい。
教祖から酷い性的被害を受けたAさんの「摂理」との出会いは次のようなものだった。受験生の時、書店で立ち読みをしていたら女性が近づいてきて「背が高いですね~」「私ダンスをしているのだけれど、ダンスとか興味ない?」と声を掛けられる。感じの良い人だったのとダンスに関心はあったので携帯のアドレスを交換、週1回くらいメールでコンタクトを取るようになり、会いに行くととても歓迎された。自分が目指していた大学の人もいて、知的な人も多く私が目指すべき人たちだと思ってしまった。悩みを話すと一緒に泣いてくれて、一緒に食事もするようになった。「人生のためになる話」「受験勉強も忙しいと思うけれど、将来の進路を決める意味でも話を聞いた方がいい」と言われ、それとは知らずに「摂理」のバイブルスタディに参加するようになった。
大学入学後、Aさんはチアリーダーのサークルに所属し、「摂理」の活動に没頭、ついには生涯独身で「摂理」に献身する決意をするまでになる。そして当時、中国に潜伏していた教祖のもとに送られ、そこで性的被害を受ける。それは避妊もせずに性行為を強要されるという過酷なものだったが、その時の経験を次のように振り返っている。
「教祖はメシアなので自分の欲を満たすために性的行為を行うはずはない。つまりこの行為は教祖が肉体を持たない神様の代わりとして、この地上で表そうとしてくださっている天の最大の愛なのだと『摂理』の教えに照らして解釈しようと思った。けれど、あまりに乱暴で、一方的で、私の名前も知らない、目も合わせない、これが本当に神様の愛の行為なのか、かなり疑問だった。もう一度この行為を受ける機会を与えられたら拒否するだろうと思った。しかし、これが私欲を満たす人間的な行為であるとはどうしても考えたくなかった。私は大学生活のほとんどの時間を摂理にささげてきた。皆が救われるように、世界が少しでも良くなるようにと、夜遅くまで教会で活動し、毎朝4時起きで祈り続けてきた。必死でみ言葉を聞いて実践しようと努力してきた。『摂理』以外の誘いは極力断り、友だちも作らなかった。もし教祖の行為が神の祝福でないならば、『摂理』のすべてが否定されることになる。それはこれまでの私の人生のすべてが否定されることだった。それはあまりに怖かった」
先に脱会した人の助けもあり、Aさんは最終的には「摂理」を離れるのだが、そのような機会のないまま、教祖の行為を「天の祝福」としてそれを支えてしまう側にとどまり続けてしまう信者は少なくない。
排他的な宗教団体ほど、伝道目的以外のこの世との接触は極力断つように巧みに誘導する。その結果、それとは気づかないうちにその団体以外に居場所がない状態になっている。団体の外は「闇」「サタンの領域」と教え込まれているので、団体以外の人に相談するという発想も起こらない。こうした特殊な状況が宗教指導者の性犯罪を隠蔽し、さらにはそれを繰り返させる土壌になっているのである。(おわり)
川島堅二(東北学院大学教授)
かわしま・けんじ 1958年東京生まれ。東京神学大学、東京大学大学院、ドイツ・キール大学で神学、宗教学を学ぶ。博士(文学)、日本基督教団正教師。10年間の牧会生活を経て、恵泉女学園大学教授・学長・法人理事、農村伝道神学校教師などを歴任。
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