【映画評】 目線と外縁 OUTCAST映画祭 2024年11月1日
世間から疎外された人々、社会の枠組みから外れた暮らしを選んだ人々に迫る良質ドキュメンタリー作品を特集する映画祭がこの11月、東京渋谷を皮切りに京都・大阪・横浜・名古屋およびオンラインにて開催される。OUTCAST映画祭と銘打たれた本企画を主催するのは、ドキュメンタリー映画専門の配信サイトMadeGoodだけに、上映作のラインナップは粒選りなものとなっている。
都会の生活では、あまりに多くの人々とすれ違うため、その一人ひとりに向き合うことなど不可能であり、気づけば行き交う他者の群れは単なる書き割りと化し、他人を心ある存在として扱うことを忘れがちになる。朝夕の満員電車などは心なき物質として人を運ぶことへ皆が同意する〝自己疎外〟の典型とも考えられ、この意味から都市に暮らすことは半ば必然的に疎外者を前提するとも言えそうだ。
『ダーク・デイズ』“Dark Days”(2000年)は、ニューヨーク・マンハッタンの地下に暮らす住人達を撮る。傍目には悲惨にも映る境遇に対し誇りも忘れぬ人々の面構えは圧巻ながら、鉄道公社と行政の介入で住宅提供された後の柔和な豹変ぶりも愛嬌があって良い。16mmで撮る粗い映像に、DJ ShadowのTrip Hopがのる冒頭の鋭さにまず見入る。ニューヨークへ列車で出入りしたことのある人間の誰にも印象深いだろう、Amtrak車窓に覗く地底世界の実像は見応えがある。
電車通勤する人々の至近にありながら、まったく異質な毎日を暮らす人々を映す点では、約30年前の歌舞伎町を生き抜くトランスジェンダー、当時の言葉でいう〝おなべ〟たちの日々を追う『新宿ボーイズ』(1996年)も興味深い。石原都政の〝浄化〟前に歌舞伎町が有した混沌とギラつきが濃縮保存され、資料価値すら感覚する画に見入り、田舎の母との電話など沁みる。半径2mの近さで彼らを撮り続ける映像の、粗い煌めきとぬめる湿度に舌を巻く。
園芸師出身の著述家で『動いている庭』ほか日本語訳書も多いジル・クレマンは、所有権や各種の法令により事物を縛り統御下に置こうとする都市化現象の足元で進行する、原生林や環境保全区とは対極ながら限定的な多様性を保つ放棄地の生む光景を「第三風景」と呼び、その思想的価値を定義づけたが、『ダーク・デイズ』における地下空間はもとより、『新宿ボーイズ』に映り込む歌舞伎町の瑞々しさもまた、社会学的ニュアンスにおいて「第三風景」の変種とみなし得る強度を放つ。
ジル・クレマンによれば、「第三風景はその性質上、よそに居場所をもたない数々の種のための土地を構成する。」 『アカーサ、僕たちの家』“Acasă, My Home”(2019年)が映しだすのは、ブカレスト市内バカレシュティ湖畔の片隅を不法占拠し暮らす大家族だ。湿地へ舟を浮かべ漁る一家の生活は、湖の自然公園化を決めた政府方針により激変する。クレマンの〝第三風景〟定義そのものと言える放棄地の多様性は見応え充分だ。極相化した原生林がそうであるように、放棄地もまた限定的に一定の平衡状態を獲得し、混沌に見えながら固有の秩序を内に孕む。
その都市固有の秩序、平衡状態を可視化したかのような作品が、メキシコシティで闇救急車を走らせて家業とする一家を撮る『ミッドナイト・ファミリー』“Midnight Family”(2019年)だ。家族経営の救急車は、他の救急車を豪快に追い越す。サッカーボールで遊ぶ小学生児も搬送を手伝い、車内では患者へ保険の有無を執拗に尋ねる。利益確保の必要が職業倫理との葛藤を軽やかに凌駕する、行政崩壊のリアルに目をみはる。
『ダーク・デイズ』とは対照的に、ニューヨークの地下鉄構内を自らの絵でジャックするべく飛び回る画家の生涯へスポットを当てた『キース・ヘリング〜ストリート・アート・ボーイ〜』(2020年)も興味深い。キース・ヘリングは同性愛者であることを公言しHIVへ罹患し夭折したが、本作後半におけるゲイコミュニティを襲った1980’s末HIV流行描写は熾烈だ。この熾烈さを助長したのが当時における同性愛者への社会的無理解であったことは言うまでもないが、性的少数者の孤立状況は現代世界でも変わらない。『チェチェンへようこそ ―ゲイの粛清―』(2020年)は、事実上ロシアの傀儡と化したチェチェン=カディロフ政権によるLGBTQ排除の実態を描く。
一方、OUTCAST映画祭の目玉といえるのがノルウェー作品『画家と泥棒』(2020年)だ。絵画泥棒の青年を描きたいと申し出る画家の依頼に始まる本作の奇抜な展開は、ドキュメンタリー映画というジャンルの核心へ揺るがせ、描かれる泥棒青年の変容は世界の注目を浴びた。また『牧師といのちの崖』は、観光名所・三段壁を訪れる自殺志願者たちの姿と、彼らと向き合いつづけるひとりの牧師を捉える。その繊細なテーマ選択が映しだすのは、自殺者数で世界有数の国でありつづける日本社会が疎外し見て見ぬふりをつづける昏がりに息づく、一縷の希望の物語とも言えよう。
(ライター 藤本徹)
OUTCAST映画祭/OUTCAST FILM FESTIVAL
公式サイト:https://madegood.com/outcast/
11月2日~ 東京・京都・大阪・横浜・名古屋・オンライン
*『牧師といのちの崖』は、東京会場での上映のみ(11月1日現在)
【参考文献】
ジル・クレマン 『第三風景宣言』 笠間直穂子 共和国
【本稿筆者による言及作品別ツイート】
『キース・ヘリング 〜ストリート・アート・ボーイ〜』🌆
NYの地下鉄構内を自らの絵でジャックするべく飛び回る、その貪欲さに喝采を送りたくなる。🚇️
表現こそが我欲を超え他者へと通じる、その回路を強靭に信じ実践した青年の鮮やかな軌跡。ゲイコミュニティを襲った1980's末HIV流行描写が熾烈。 https://t.co/lSjeaJNabQ pic.twitter.com/WSIov5jYKF
— pherim (@pherim) October 26, 2024
『チェチェンへようこそーゲイの粛清ー』
事実上ロシアの傀儡と化した、
チェチェン=カディロフ政権による“血の浄化”。LGBTQ排除の実態、惨鼻極まる拷問、私刑の容認。
“恥”ゆえに公道で親族の頭を潰す暴虐。このpost-truth下で挑まれた、深層学習型AIを駆使する撮影対象保護の先進性に目を瞠る。 pic.twitter.com/LghoCRW7vm
— pherim (@pherim) February 26, 2022
『画家と泥棒』🇳🇴
無名画家の絵を盗み捕まる泥棒青年。🎨👣
青年を描くという画家の着想に始まる奇抜展開が、ドキュメンタリーである点に世界が驚き怪しんだ一作。
けれど私的にグッときたのは己を描いた絵を見せられて、誰からも顧みられずに生きてきた青年が黙って滂沱の涙を流す場面。これは真。 pic.twitter.com/QPkcBlKDbQ
— pherim (@pherim) December 5, 2022
『ダーク・デイズ』“Dark Days” 🇺🇸2000
NYマンハッタン地下の住人達を16mmで撮る画に、DJ ShadowのTrip Hopがのる冒頭の鋭さにまず見入る。
悲惨なりに誇りも忘れぬ面々ながら、鉄道公社+行政の介入で住宅提供された後の豹変ぶりはご愛嬌。
Amtrak車窓に覗く地底世界へ惹かれていたため見応え極太。 https://t.co/9d7kRPvSqt pic.twitter.com/Q7UYVNnglQ
— pherim (@pherim) August 20, 2023
『新宿ボーイズ』1996
30年前の歌舞伎町を生き抜く“おなべ”たち、その誇りと葛藤の日々追う映像の、粗い煌めきとぬめる湿度に舌を巻く。
石原都政の“浄化”前に歌舞伎町が有した混沌とギラつきが濃縮保存され、資料価値すら感覚する画に見入り、田舎の母との電話など沁みる。https://t.co/iVopztXrcI pic.twitter.com/0Zmd4EPc1Z
— pherim (@pherim) October 21, 2024
『アカーサ、僕たちの家』🇷🇴“Acasă, My Home”
ブカレスト市内、バカレシュティ湖畔の片隅を不法占拠し暮らす大家族。湿地へ舟を浮かべ漁る一家の生活は、湖の自然公園化を決めた政府方針により激変する。
クレマンの“第三風景”定義そのものと言える放棄地の多様性に見入る。https://t.co/w985AemQyx pic.twitter.com/2ONc2eCnul
— pherim (@pherim) October 18, 2024
『ミッドナイト・ファミリー』
メキシコシティでは、闇救急車が駆け巡る🚨
家族経営の🚑が、他の🚑を豪快に追い越す。⚽️で遊ぶ小学生児も搬送を手伝い、車内では保険の有無を執拗に尋ねる。利益確保の必要が職業倫理の葛藤を軽やかに凌駕する、行政崩壊のリアルに目を瞠る。 https://t.co/cfkQMFjHnZ pic.twitter.com/b0UovRFRln
— pherim (@pherim) October 19, 2024