【宗教リテラシー向上委員会】 イスラームと猫と犬 牟禮拓朗 2024年11月21日

 2023年4月3日、アルジェリア北部ボルジ・ブ・アレリジでラマダーンの礼拝中のモスクに迷い込んだ子猫が、祈りを捧げるイマーム(導師)の身体に飛びついてよじ登る動画が拡散された。動画では、礼拝中に粛々とコーランを朗誦していたイマームの手元に突然子猫が飛び乗り、肩まで移動して顔を擦り付けるなどの戯れを見せても、まったく動じずそのまま美しい朗誦を続けるイマームの姿が話題となった。

 なんとも微笑ましく平和なニュースであるが、自分も似たような経験をしたことがあった。北アフリカにあるチュニジアの語学学校に通っていたころ、そこを根城としている猫が何匹かいて、時折校内をうろついていた。ある日の授業中、教室内に入ってきた猫が私の膝の上に飛び乗ってきて、そのまま眠ってしまった。私は少し戸惑っていたが、先生やクラスメイトたちはその光景を見て笑い、何事もなかったかのようにそのまま授業は続いた。休憩時間になると、猫を膝に乗せたまま動けない私に、同じクラスのムスリムの女性が声をかけてきてくれた。彼女は、「イスラームの教えには、飢えた猫を家から締め出した女性が地獄に落ちたという話があるんだよ。だから猫を無理に追い出したりはしないんだ」と教えてくれた。帰宅後にさっそく調べてみると、確かにそういったハディース(預言者ムハンマドの言行録)があることを確認した。最後の試験中にも産気づいた猫の鳴き声がずっと廊下で響いていたが、もちろん文句を言う人は誰もいなかった。

 イスラームにおいて猫は、預言者ムハンマドに愛された動物として知られ、アルジェリアのニュースのようにモスクに入ることも許されている。ムハンマドの教友にも、猫好きのためアブー・フライラ(子猫の父)と名付けられた者もいる。「猫は〔家の中にいても〕礼拝を無効にするようなことは起きません。彼らは家の中で役立つものだからです」(小杉泰編訳『ムハンマドのことば』岩波文庫、2019年)というハディースも残しているフライラは、スンナ派において最も多くのハディースを残している重要人物でもある。猫にまつわるハディースは他にも数多残されている。こうしたイスラームの慣行(スンナ)から、特に猫が好きというわけではなくとも、軒先に猫の水飲み場を設け、餌を与えたりする者もいる。ムスリムの猫好きというのは、このように宗教的信仰という側面も大きい。

 他方、日本では猫と並んでペットとしてポピュラーな犬は、イスラーム世界においては豚と同様に「不浄」の存在として見られることが知られている。ハディースには、犬の唾液が体に付いた場合に7回洗うよう指示するものなど、犬を忌み嫌うものも多く見られる。しかし、私が住んでいたチュニジア北東部の地域では、意外にもペットとして犬が飼われることが珍しくなく、犬を散歩している光景も日常的に見られた。私が住んでいた家でも犬を飼っていて、家に来る人たち(もちろん皆ムスリム)にもよく可愛がられていた。

 また、この機に宗教情報リサーチセンター(RIRC)の『ラーク便り』データベースを検索してみると、シーア派国家であるイランでも犬をペットとして飼うことが一時流行していたようだ(76号「シーア派大国イランでペット犬ブーム」)。

 このように、宗派問わずイスラームの教えの中で犬を不浄と見る強い規範があっても、その受容には文化的・地域的なものの影響が大きいことが分かる。猫好きではないが、イスラームの教えに則って仕方なく慈悲深く接しているという人もいれば、イスラームの教えでは不浄とされる犬をこよなく愛するムスリムもいる。ムスリムだから猫好き/犬嫌いと一概に言えるわけではないことには、気を付けなければならないだろう。

牟禮拓朗(宗教情報リサーチセンター研究員)
 むれ・たくろう 1991年大阪府生まれ。一橋大学大学院社会学研究科博士後期課程在籍中。論文に「現代チュニジアにおける「民主化」維持の要因に関する研究:権威主義体制期の女性政策の意図せざる結果としてのTwin Tolerations」(『一橋社会科学』)、共著書に「民主主義と権威主義の相克」(福富満久編著『新・国際平和論』ミネルヴァ書房)。

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