立教学院創立150周年記念展 指導者たちの言葉に焦点 2024年11月21日
今年、創立150周年を迎えた立教学院が、歴代の指導者の言葉を通じてこれまでの歴史をふり返る企画展を開催している。同展を担当した豊田雅幸氏(学術コーディネーター、学芸員)に展示を解説してもらった。
「立教学院の源流となる学校は、1874年、米国聖公会の宣教師チャニング・ムーア・ウィリアムズによって築地に開かれました。節目の年を迎えるにあたり、この150年を見渡せるものとして、指導者たちの言葉に注目することにしました。彼らがどのような言葉で導こうとしていたかがそこに表れていると考えたからです。展示は25年ごとに区切って、時代の流れと、そのとき立教がどのような課題と向き合っていたのかがわかるように構成されています」
創立から25周年までのコーナーでまず紹介されるのは、創設者のウィリアムズ(1829~1910年)。彼は「道を伝えて己を伝えず」と評され、死に際しても、葬儀や墓標を簡素にし、自分の伝記の執筆は望まないと書き残した人物だが、年次報告の中で学校設立の理由を述べている。ウィリアムズの要請を受けて来日し、校長を務めたJ・M・ガーディナー(1857~1925年)は、「カレッジを1校設立することを望んでいます。私が思うに、こうしたことにより、日本をキリスト教化するために私たちが考えられうる最重要の要因が判明するでしょう」と、報告書の中でカレッジの必要性を説いている。全文を読むと、この時期には無神論が社会に広がりつつあり、ガーディナーがそれを懸念していたことがうかがえる。
25周年から50周年の時期に学校を担ったのはA・ロイド(1852~1911年)やH・S・タッカー(1874~1959年)、初の日本人学長となった元田作之進(1862~1928年)、C・M・ライフスナイダー(1875~1958年)らである。徐々に国家主義的風潮が高まるなか、1907年、「立教大学」を設置し、18年には将来的な発展を見越して、築地から池袋へと移転した。そして22年、念願であった正規の大学へと昇格を果たした。
立教大学は、同志社大学に次いで国内2番目となるキリスト教主義の大学。生徒は順調に増えていたが、23年、関東大震災が発生し、校舎に大きな被害が及んだ。50周年から75周年の最初の時期は、J・マキム(1852~1936年)を中心に震災からの復興に力を割くほかなかった。「東京の教会、学校、住宅、聖路加病院は破壊されり。宣教師はすべての家財を失えり。宣教師、日本人聖職者、聖公会会員への救援は急を要す。神への信仰の他はすべて失えり」(米国聖公会へ被害を伝えたマキムの電報)
同時に、このころから今につながる「立教らしさ」が生まれてくる。シンボルマークや校旗、「Pro Deo et Patria」(神と国のために)という建学の精神である。しかし、次第に戦争の影が忍び寄り、31年に満州事変が起こる。戦時下の立教を担ったのは、遠山郁三(1877~1951年)や三辺金蔵(1881~1962年)といった人物であった。大学学長兼学院総長の遠山の時代、42年にキリスト教主義を手放してしまったことは、戦後厳しく問われることとなる。戦時下最後の学長(後、総長)となる三辺も同様である。戦後、GHQの主導で三辺ら学院幹部は立教から排除された。
75周年から100周年の時期には、小学校を設立するなどの発展があった。また埼玉県の新座に新しい校地が拓かれた。69~70年の大学紛争のころに総長を務めたのは大須賀潔であった。「キリストへの信仰に基づく研究と教育の場であるという立教大学は、このような愛の共同体であることを要求されています。ここで真理の共同体は愛の共同体でなければならないわけです。否、愛の共同体であって、はじめて、真理の共同体でありうるのではないでしょうか」(大須賀の総長就任式あいさつ)
100周年の記念行事は、前年に起こった大場事件の余韻のために華々しく祝われることはなかったが、110周年に記念行事を行っている。125周年までの時期には、教育改革と経営改革とが推進された。尾形典男の時に学費の物価スライド制が導入され、現在に至っている。90年には新座キャンパスが開校。1年生が週1回通うこととなった。98年には新座キャンパスに二つの学部が設置された。
150周年までの時期、すなわち2000年から今年に至る指導者たちの言葉は、解説パネルではなく資料録にまとめられている。「愛、自由、正義、平和。こういうことは人間の質的価値ですよ。私たちの生き方、目的、意味を問うことです。それを教育のなかにどのようにしてみなぎらせるかが大事ではないか。私は、キリスト教倫理という科目でなくても、あるいはクリスチャンでなくても、そういう問いは皆さんにあると思います。教育者として、もちろん自分の授業が専門的評価に堪えるものでなくてはいけませんが、同時に、人間としてそういう問いに自分もまた自覚的にかかわるなら、私は必修であるかないかはあまり問題でないような気がしています」(キリスト教の授業が必修でなく選択制でよいのかいう質問に対する、塚田理院長の言葉)
2021年、第22代総長に就任した西原廉太は就任宣誓式で以下のような言葉を述べた。「私が、総長として最初に行う仕事は、本日付けで立教大学の全学生、全教職員に対して、『立教大学ヒューマン・ディグニティ宣言』を発信すること……『尊厳』を英語では『ディグニティ』(dignity)と言いますが、その語源はラテン語の『ディニタース』(dignitas)であり、本来の意味は『その存在に価値があること』です。神によって創造されたすべての<いのちあるもの>の存在には価値があり、それは決して損なわれてはならない。これこそが、立教大学が創立以来、規範としてきたキリスト教の中心的教理であり、本学の教育、研究、社会貢献のすべての基礎的原理でなければならないと考えています」
現在、建学の精神である「神と国のために」はより広い意味で捉えられ、すべての人に開かれた、そしてすべての<いのちあるもの>を包摂する理念へと昇華している。震災、戦争、政治的軋轢など、難しいかじ取りの中で指導者たちが守ろうとしたのは、キリスト教の本質であった。それを中心的教理とも福音とも言い換えることができるだろう。困難な時期に、表面上「キリスト教」を覆うことはあったが、その本質を失うことはなかった。最も大切なものを失わないために、その時々の指導者が耐え忍んだとも言える。
守り抜いた本質を生かし、これからどんな100年、150年に打って出るのか。過去をふり返りつつ、今後に期待が膨らむ企画展となっている。
立教学院創立150周年記念展 シーズン3
立教学院展示館・第11回企画展「立教の『未来』像――指導者たちの言葉から」
12月23日(月)まで開催中。月・火・木・金曜 10時~17時、土曜 11時~17時(最終入館時間は閉館の15分前)
場所:立教学院展示館(立教大学池袋キャンパス メーザーライブラリー記念館・旧館2階)
入場:無料 https://bit.ly/48NATIU