編集者の小林えみ氏・よはく舎代表「重い課題と心理的負担」 深井智朗氏めぐり講談社学術文庫に公開質問状 2025年2月18日

 深井智朗氏による『キリスト教綱要 初版』をめぐる問題で2月18日、雑誌『nyx』(ニュクス、堀之内出版)の元編集者である小林えみ氏(よはく舎代表、マルジナリア書店オーナー)が新たに講談社への公開質問状を発表した。

 同誌5号(2018年9月20日刊行)で深井氏に原稿依頼した経緯のある小林氏は、2020年12月に「重ねての不正行為をなされた方の起用に関し、ご心配をおかけした」自らの至らなさについて、謝意と反省を表明した。このことがその後、仕事上でも支障をきたし、他の関係者も「重い課題と心理的負担を負わされている」ことに触れ、「企業の損害以上に、世界や歴史においては何より学術への信頼を損なったことは非常に重たいこと」と指摘。

 その上で講談社学術文庫の担当者に対し、「なぜ深井氏が『深く後悔し、強く反省している』と、講談社学術文庫が社会に問うことなく判断することが許されると思ったのか」「深井氏に対し反省・謝罪等の公表を促すことはなかったのか」「『本のひろば』の件について知っていたのか。社会一般の理解が得られると考えたのか」「なぜ今、深井氏による訳で刊行を行ったのか」について質問している。

 小林氏はまた、騒動後に洗礼を受け、信徒となっていたことを打ち明け「同じ信仰を持つ者として、深井氏には本当に私たちの神に恥じいることのない行いをし、神に仕える仕事を遂行して頂きたいと思います。私たちは共に生きる者同士です」とも加えた。

 公開質問状の全文は以下の通り。


公開質問状

よはく舎 小林えみ

 深井智朗氏の訳書が刊行されることを知り、またそのことについて貴社が公開質問状へ回答されたことを知りました。後から恐縮ですが、わたくしからもお伺いしたく、ご質問をさせていただきました。

 深井氏と私のかかわりは、編集担当をしておりました雑誌『nyx』5号(2018年9月20日刊行)で執筆の依頼・掲載を行ったことです。2018年9月25日付の学会誌にて同氏への「研究不正の疑いに関する公開質問状」が出され、その追及の上で2019年5月10日、当時所属されていた東洋英和女学院大学で不正行為が認定され、懲戒解雇となりました。『nyx』5号への論考の掲載は、深井氏が様々な追及をうけて実質的に仕事を停止される直前、おそらく最後の公刊の仕事になります。

 それ以前の2013年の学会誌においてすでに深井氏への追及がなされていましたから、氏の起用については、全面的に私の不見識によるものであり、そのことについては深井氏の責任でもなく、私の非であるとうけとめています。

 『nyx』5号を刊行していた版元を離れたことから、少しあいだがあきますが、2020年12月10日に刊行した『nyx diffusion line 001』にて、私はこのことに関する記事を公表いたしました。自社刊行物ではありますが、公けの場に自らの至らなさについて、関係者や読者に対して謝意と反省を示しております。また掲載した『nyx』5号の原稿についても、自ら調べられる得る限りの調べを行い、それ自体に瑕疵(かし)がないことなどは確認しております。

 起用や謝罪文に対して、特に関係者からご叱責等をいただいたことはありませんが、著者とどう向き合うべきか、どこまで何を確認することが私にできることなのか、当時はどうすることができたのか、非常に重い課題として受け止め、その後も折に触れて、心の傷として必要以上に思い悩むこととなり、編集の仕事をする上でもたびたび手がとまり、支障をきたしました(鬱の要因のひとつとして医師に相談しております)。

 こうした労やあるいは絶版といった損害が版元各社でとられました。組織のことといえど、関わったさまざまな個人は、大小の差はあるかもしれませんが私と同じように重たい気持ちや心の傷を受けたことでしょう。また企業の損害以上に、世界や歴史においては何より学術への信頼を損なったことは非常に重たいことです。

 深井氏が十分に社会的制裁を受けている、これ以上何らかの非難を受けるべきではない、全ての業績が否定されるべきではない、ということは同意いたします。また、贖罪が済んでいる場合に、復帰すべきではない、とも思いません。加えて言えば、例えばまだ若手の方で生活費を得る以上致し方ない状況などの場合にも、命をつなぐための生計をたてることが優先されることである、騒動以前にすでに仕上がっている仕事であるなど、状況を見ての判断はあり得ることと存じます。しかし、すでに指摘されているように、深井氏は自らの過ちをみとめ、そのことを謝るという行為は一切ありません。現在、学校法人キリスト教若葉学園理事長も務められている深井氏や講談学術文庫様にはさまざまな対応やご本人の心の整理をする猶予や余地は十分にあったことと存じます。

 この間、当方へは個別のご連絡は一切なく、そのように個人的に謝ってほしい、ということが本文の意図ではありませんが、2月7日に松井健人氏が公開質問されておられるように「今まで何ら公的に反省ないしは謝罪といった文書を発表していない」ことの問題は、「日本の学術・社会一般への悪影響」があり、それは私のような末端のひとりの編集者にとっても非常に重い課題と心理的負担を負わされているものだということを示したうえで、それがさらに広く、様々なところへ影響が及んでいるということをお伝えし、また本件についてもう一度お考え頂きたく存じます。

 「深く後悔し、強く反省している」、その事実を疑うわけではありませんが、「今まで何ら公的に反省ないしは謝罪といった文書を発表していない」ということは、「後悔し、強く反省する」事実を行為したことはお認めなのであれば、謝罪という行為は社会的に必要なことであり、これは謝罪の体を成しているとはいえません(古田徹也『謝罪論 謝るとは何をすることなのか』柏書房、2023年を参照しました)。

 そして、それを社会に問う事もせず、「刊行してしまう」という既成事実で判断を示されることが、学術界や社会一般、また私の様な末端も含めて関わりをもった者たちにかわって/あるいは代表して講談社学術文庫さんが判断されることが、社会常識に照らして相応なものでしょうか。私はこれを謝罪が不在ということを軽視した講談社学術文庫さんによる「手続き軽視の暴力」的ふるまいのように思えます。

 深井氏にその公表を促すことも、あるいは事前に講談社学術文庫さんが深井氏についてきちんと決然と立場を表明されるなど、できることやその時間はあったかと存じます。2024年11月にも『本のひろば』で深井氏の起用についての謝罪文がだされており、問題にならないと思った、ということは、考えにくい状況です。

 私は、現在、既存の版元等の組織に所属しておらず、個人の責任としてこうしたことを発することができますが、同じようにかかわりをもった法人組織に属する方たちが、この不誠実に声をあげにくいことは想像に難くありません。

 また、いま、私もここまで下書きを書くだけで1時間強の時間を要しており、それだけでも零細の労働者としては貴重な時間を費やしております。先の研究不正を告発された方たちも、自分たちに利があることではないことについて、「不正をただす」という社会正義のためにそれぞれの貴重な時間や労力を費やして、今回のことに向き合われたことに尊敬の念を抱いております。

 学術の名を冠して情報を刊行される方々として、規模はどうあれ利ザヤを得られる「商売」を利用しての今回の進行はあまりに社会と学術への信用に対して不誠実なあり方であり、既成事実でもって弱い声を押さえつけるようなやり方ではないでしょうか。ご自分たちだけがきちんとしていれば、この事態の関係者について、思いをはせる必要はないとお考えだったのでしょうか。

 下記について、講談社学術文庫さんにはお答えをお願いしたく存じます。

①「深く後悔し、強く反省している」、それを社会に問う事もせず、「刊行してしまう」という既成事実で判断を示されることが、学術界や社会一般、また私の様な末端も含めて関わりをもった者たちにかわって/あるいは代表してなぜ講談社学術文庫さんが判断されることが許されると思われたのか。

②深井氏に反省・謝罪等の公表を促すなどは行われなかったのか。

③2024年11月の『本のひろば』の件については、承知されていたのか。その上で、刊行をすることで社会一般の理解が得られるとお考えだったのか。

④学術は長く残る仕事です。『キリスト教綱要 初版』は2000年に教文館からも刊行されており、いま、あわてて「待望の新訳」として刊行すべきものとは思えません。この辺りは見解が相違することは承知の上で、「なぜ今、深井氏による訳で刊行を行ったのか」について、他の訳者をたてる可能性や騒動に対する準備なく「今」公刊されるにいたったのか、もう少しお考えをお示しいただけますと幸いです。

 以上、お答えいただきたく存じます。

以上

 補足として、私は騒動ののちに、そのことだけに起因してということではありませんが、キリスト教の洗礼を受け、信徒として過ごしております。同じ信仰を持つ者として、深井氏には本当に私たちの神に恥じいることのない行いをし、神に仕える仕事を遂行して頂きたいと思います。私たちは共に生きる者同士です。

以下、資料

▼『nyx diffusion line 001』掲載の記事

『nyx』五号の人選に関して       小林えみ

 『nyx』五号の第二特集「革命」に、深井智朗氏「宗教改革は「革命」なのか」をご寄稿いただきました。二〇一八年九月の同号刊行後、深井氏は研究活動上の不正行為(盗用および捏造)があったと東洋英和女学院大学の調査委員会により認定されました。同氏の寄稿に関しては編集担当の小林が「宗教改革」に関してとして人選のうえ依頼、寄稿の運びとなりました。

 『nyx』掲載論文に関しては、不正行為の直接対象とはなっておりませんが、問題が表面化したのちに、改めて確認しうる範囲での校閲を行い、不正というような瑕疵はないものと認識しております。しかし、重ねての不正行為をなされた方の起用に関し、ご心配をおかけした読者、『nyx』ご執筆者皆様にお詫び申し上げます。

 一方で、今後、何らかの疑いがある方がおられた場合に、起用をしなければ出版社としては問題はおこりませんが、それが誤認であった場合、冤罪による不利益ともなります。そうした事態も望ましいものではなく、扱いは慎重になされるべきものと考えます。

 今後はより細心の注意を払いつつ、読者皆様、執筆者皆様の信頼に足る制作に取り組んでまいります。

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