【地方からの挑戦~コレカラの信徒への手紙】 自然の中で 中島和喜 2025年5月21日

 皆さんは、たんぽぽは好きですか? 私はかつて好きでした。今ではすっかり嫌いです。たんぽぽは綿毛になって広範囲に種を植え付けます。これが「花の街」である恵庭市にとってガーデニングの邪魔をすると、なかなかに嫌われていました。そのため、開花したたんぽぽを庭に放置していると白い目で見られます。そんなたんぽぽが教会の庭に咲くのです。それもたくさん。恵み野教会の庭は150㎡もの広大な庭で、雄大な自然を感じられますが、管理するのはたいへんです。2週間に一度、たんぽぽに急かされながら重たい芝刈り機を使って半日かかります。それが春から夏にかけての牧師の日常でした。たんぽぽを嫌うには十分な理由でしょう。

 夏が終われば、今度は楽しくないイチョウ狩りです。教会の目の前がイチョウ並木になっているため、秋の季節はこれまた半日かけて落ち葉掃きをしなければなりません。それが終われば今度は長い冬、寒がりな私に悲しみを運ぶ雪かきが始まります。庭は除雪業者が入ってくれますが、玄関先などは雪が降るたびに雪かきをしなければなりません。年中、自然に振り回されて生きる。それは地方の教会だからこそなのかもしれません。

 こう話すと辛い体験のように聞こえますが、決してそうではありません。むしろそれこそが地方教会の最も豊かな恵みであるように思います。そのことを強く感じたのは2018年に起きた胆振東部大地震の時です。

 震源地から近かった恵み野教会も震度5強の地震が起き、さらにその直後に大規模停電(ブラックアウト)が起こりました。教会員の安否、建物のこと、たくさんの不安が頭を占めながら暗闇の中で余震に備えていると突然、妻が窓の外を指さして満面の笑みで言うのです。「見て! 星がキレイ!」と。

 私は緊急時の焦りから、結局その時の星空は覚えていません。妻曰く、その時の星空が人生で一番きれいだったとのことです。悔しくなって翌日に空を見上げましたが、停電から回復すると同時に電気が星空を隠してしまい、「人生で一番」と言えるほどの星空には出会えませんでした。けれど、その出来事を通して、光は思ったよりも光っているのだということに気が付かされました。

 この世界は、私たちが思うよりも素晴らしく造られているのでしょう。私たちはそれを自分の都合で覆い隠してしまいます。けれど、光は思ったよりも光っているのです。その光は、自然の中でこそ見つけやすいものでした。あたり一面の緑が、秋には黄色になって、冬には真っ白になって。色とりどりの風景に、大変ではあるけれど、いつも心を癒やされていました。何げない日常の中にあるそれらは、神のみ業を素晴らしく示してくれるものであり、それ故に、自然こそが最も豊かな恵みであると語ったのです。そしてそれは地方の教会こそが享受しやすい恵みなのかなと思っています。

 「言の内に命があった。命は人間を照らす光であった」(ヨハネ1:4=新共同訳)。その光は言として私たちに与えられています。光はすでに私たちの内にあるのです。結局のところ、そのみ言葉をいつも抱えられているかが問われるのでしょう。自然を通して、人を通して、喜びや時には苦しみを通して。さまざまな方法から光が示される。それは地方であっても、都会であっても同じです。「地方からの挑戦」と語りながらも、結局どこであってもキリスト者を生かすものはみ言葉である。そのことを感じさせられた、地方での7年間でした。

なかじま・かずき 1990年北海道生まれ。東洋大学、日本ルーテル神学校卒業。日本福音ルーテル大江教会主任牧師。これまで恵み野教会(北海道恵庭市)主任牧師として7年、その間、札幌教会(札幌市)の協力牧師を6年、函館教会(函館市)主任牧師を1年兼任。

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